NHK大河ドラマ「どうする家康」で穴山梅雪の最後が気になったので調べてみました。穴山梅雪を演じるのはイケメンの田辺誠一さんです。穴山梅雪の最後には、やはり謎の部分が多くありますが、運命の分かれ道となったシーンがドラマではどのように描かれ、また、田辺誠一さんがどのように演じられるのかが見どころとなっていると思います。
穴山梅雪の父親と母親について
穴山梅雪の父親は、信友です。穴山氏は、主君である武田氏から武田姓を名乗っても良いと言われる程、家臣として重宝されていたようです。それは、梅雪の母親が、武田信虎(武田信玄の父)の娘であることからも明らかです。
穴山梅雪と家康、武田信玄との年齢差について
梅雪と家康は、近かった
穴山梅雪(田辺誠一)の生まれた年は、1541年です。一方、主君である武田信玄(阿部寛)の生年は、1521年ですから、信玄より20歳年下ということになります。ドラマの主人公、徳川家康(松本潤)が生まれたのは、1543年ですから、家康より2歳年上となります。年齢的に、梅雪と家康は、近かったのですね。
穴山梅雪に関係した有名なエピソード
武田信玄亡き後の行動は?
梅雪(田辺誠一)は、主家である武田氏から同じ武田の姓を名乗ることを許されたり、父子二代に渡って武田家の娘を妻に貰っていながら、信玄(阿部寛)亡き後、武田家の家督を継いだ勝頼(真栄田郷敦)を最終的に裏切ります。その裏切りをけしかけたのは、徳川家康(松本潤)だったそうです。年齢的にも近い2人は、本能寺の変の後、明智勢の軍勢に追討されるのを恐れて、途中まで共に山中の道を逃走します。逃げる時まで、一緒とは、2人の仲の良さが垣間見えます。
穴山梅雪の結婚相手と結婚までの経緯について
武田家との関係が深い
穴山氏は、武田家の娘を当主の妻として迎え入れており、梅雪の母もまた、武田家の出身です。このように武田家と血筋的にも密接な関係にあったため、梅雪もまた、武田信玄の娘を妻として貰い受けることとなりました。梅雪の妻となったのは、信玄の次女です。名前は、彼女が出家した後の見性院という名前しか伝えられていません。彼女の母は、信玄の正室・三条夫人となっています。
穴山梅雪の子供は、何人いて、どうなった?
穴山梅雪の子供は、2人います。1人は、嫡男の勝千代です。彼は、梅雪が亡くなった後に、穴山家当主の座につきますが、若くして亡くなってしまい、ここに穴山家は断絶します。もう1人の子供は、女の子で、武田信玄の次男・海野信親の側室となったようです。
穴山梅雪の最期について
家康たちと、別ルートで逃げることを選択した結果
本能寺の変の後、明智勢に追討されるのを恐れた穴山梅雪は、徳川家康と共に、山中を必死で逃げていきます。しかし、梅雪は何を思ったか、途中で家康たちの一行と離れて、別ルートで逃げることを選択するのです。これが、まさしく運命の分かれ道でした。この時代は乱世で、敵は明智勢だけとは限らなかったのです。梅雪と家臣たちは、山中を引き続き逃げて行く途中、運悪く野盗に遭遇し、打ち取られてしまったとのことです。享年40歳でした。
穴山梅雪の性格について
優秀な才覚の持ち主だが〜
梅雪は、武家の当主としては、大変に優秀な才覚の持ち主だったと考えられます。信玄が亡くなり、長篠の戦いの後に勢いを失っていく主君勝頼を見限り、織田家へ寝返る点をみれば、穴山家の当主として、どちらを主に選べば、家が長く存続するか、冷静に考えることが出来たからです。しかし、武士として大切な要素である忠義に関しては、かなり薄い気がします。同盟相手である家康と、本能寺の変の後、途中までは一緒に逃げるものの、途中で違う道を選択して別れる辺り、何だか家康に対しても薄情な印象が見受けられます。頭は良いけれども、友人にするにはちょっと…かもしれません。
どうする家康で穴山梅雪のキャスト田辺誠一さんに期待すること
武田家とは何か縁がある?
田辺誠一さんは、enchanté所属の俳優さんです。また、映画監督という別の顔も持っています。そして、奥様は女優の大塚寧々さんです。田辺誠一さんは、これまでにも何度も大河ドラマに出演しており、いずれも高い演技力が評価されています。直近ですと、「青天を衝け」の尾高純忠役がまだ記憶に新しい方もいるでしょう。また、田辺誠一さんは2007年の大河ドラマ「風林火山」では、穴山梅雪と同じく武田家の重臣である小山田信有を演じています。そのため、武田家とは、何か縁を感じてくれていると嬉しいなと個人的には期待するところです。もちろん、演技においても、知恵者の梅雪が、どのように家康と絡むのかも楽しみにしています。
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