どうする家康で山県昌景の最後について調べてみました。諸説あるようですが、武田四天王の中でも最強と言われる山形昌景の武勇は、現在でも「赤備え」などの言葉でも知られています。山形昌景を演じるのは、橋本さとしさんですが、橋下さんの演技についても、かなりハマり役だと思いますので、壮絶な最期をどのように演じられるのか楽しみですね〜!
山県昌景の父親と母親について
山県昌景の父親は、甲斐国(現在の山梨県)の国人であった山県昌景(初代)で武田信玄に仕えていました。。母親の名前や出自については、残念ながら記録には残っておらず、明らかにされていません。
山県昌景と家康、武田信玄との年齢差について
山県昌景(橋本さとし)は天正6年(1578年)に生まれ、一方の徳川家康(松本 潤)は天文10年(1541年)生まれで、家康が約23歳年上となります。一方、武田信玄(阿部 寛)は永禄3年(1560年)生まれで、山県昌景よりも34歳年上となります。
山県昌景に関係した有名なエピソード
赤備え
武田四天王の中で最強と言われる山県昌景は、赤備えでも有名です。鎧や兜などを赤に統一した部隊で、その出で立ちを見るだけで敵方の武将は震え上がったと言われているほどです。三方ヶ原の戦いでは、徳川家康をギリギリのところまで追い詰め、撤退させたという話も伝わっており、その後も赤備えでの戦いが継承されていきました。
小田原征伐で槍を突き立てた、その先には…
山県昌景(橋本さとし)には、有名なエピソードが一つあります。それは、天正18年(1590年)の小田原征伐において、山県昌景が槍を突き立てたことで知られる「山県十話」です。当時、小田原城に籠もっていた北条氏政に対し、徳川家康は大軍を率いて攻め込んでいました。山県昌景は、家康の命を受け、小田原城に突入する先鋒部隊の一員として戦いました。そして、山県昌景が城門に槍を突き立てた瞬間、その槍には北条氏政の首が刺さっていたという伝説が残されています。このエピソードは、山県昌景の勇猛さや武勇伝に加え、その忠誠心を象徴するものとして語り継がれています。この「山県十話」は、山県昌景が勇猛果敢な武将であったことを示すだけでなく、家康の側近としての忠誠心やその配下の武将たちの戦意高揚にもつながったと考えられています。
山県昌景の結婚相手について
山県昌景の正室の名前は「おき」といい、彼女との間には息子の昌信が生まれました。ただし、おきがいつ亡くなったかは明確には伝えられていません。また、山県昌景には側室や愛人もいたとされていますが、詳細は不明です。
山県昌景の子供は、何人いて、どうなった
山県昌景には、正室のおきとの間に息子の昌信がいました。昌信は山県家の家督を継ぎ、上野国において1万石の大名として活躍しました。また、昌信には、娘のおたきがいました。おたきは、伊勢国(現在の三重県)にある伊勢神宮の神職に嫁いでおり、山県昌景の血筋はそこから広がっていくことになりました。昌信には他にも子供がいたとされていますが、詳細は不明です。
山県昌景の最期について(諸説あり)
そろそろ武田軍出陣で御座いまする。
— 橋本さとし/Satoshi Hashimoto (@3104shHoney) March 19, 2023
団子を食い出番を待つ。#どうする家康#大河ドラマ#山県昌景 pic.twitter.com/8QaUUsZWYy
長篠の戦いで壮絶な討死?
戦国武将最強とまで言われた山県昌景の最期については、諸説あります。
長篠の戦いで壮絶な討死したという説もあります。劣勢にあった武田勝頼を助けるために、一歩も怯むことなく最後まで全力で支え続けたと言われています。
病死か?
山県昌景の最期については、諸説あるようですが、一般的には慶長3年(1598年)に病死したとされています。享年37歳でした。ただし、山県昌景が病気であったかどうか、あるいは何者かによって亡き者にされたのかといったことについては諸説あり、真相は不明です。私の感想としては、山県昌景は若くして徳川家康に仕え、多くの戦いで活躍した武将であり、その武勇や忠誠心が高く評価されています。彼の死は、家康にとっても大きな喪失であったことでしょう。一方で、山県昌景の死については謎が多く、その真相が明らかになっていないことも、彼の生涯に対する評価に影響を与えているのではないかと感じます。
自害か?
山県昌景は、忠義心に厚く、非常に勇敢であったとされています。彼は豊臣秀吉に仕え、多くの戦場で活躍し、その武勇は認められていました。また、山県昌景は、同じく忠義心に厚い豊臣秀吉に深い敬意を払っており、彼のために命を投げ出す覚悟を持っていました。一方で、山県昌景は、自身の信念を曲げない頑固な面も持ち合わせていたと思われます。大坂の陣においても、豊臣方が敗北した後、真田信繁から自身の配下として仕えることを勧められたにもかかわらず、自害を選んだと伝えられています。このことからも、山県昌景は自己の信念を貫くためには、命を投げ出すことも厭わない強い意志を持っていたと推測されます。
山県昌景の性格について
山県昌景の性格については、史料には明確な描写がなく、推測するしかありませんが、彼が武将として活躍した時代背景から、忠義心が強く、勇猛果敢で、機転が利くという、武将として必要な要素を備えた人物であったと推測されます。
山県昌景役の橋本さとしさんの演技に期待すること
悪役としての演技にも期待
橋本さとしさんは、悪役としての演技も得意としており、数々の映画やドラマで悪役を演じてきました。彼の悪役の特徴としては、冷静沈着で計算高いところが挙げられます。例えば、2014年に公開された映画『謝罪の王様』では、金融業界の悪徳企業の社長役を演じ、冷酷非情なイメージを見事に表現しました。また、2017年に放送されたドラマ『監獄のお姫さま』では、刑務所で組長役を演じ、強面で荒々しいキャラクターを見事に演じきりました。橋本さとしさんが演じる悪役は、時には観客の共感を得ることもありますが、その冷静かつ計算高い演技は、大河ドラマ「どうする家康」でも発揮されるでしょう。
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