巳年のことわざと意味!新年の挨拶に使える格言とは?

2025年の干支は、巳年(みどし)ですが、巳年(みどし)にちなんだことわざ(諺)や格言について調べてみました。新年の挨拶や巳年(みどし)にふさわしいスピーチに活用するためのヒントになれば幸いです。

目次

巳年(みどし)のことわざ(諺)

あいうえお順に、巳年(みどし)にちなんだ諺(ことわざ)を紹介しています!

足無き蛇足ある者を疑う(あしなきへびあしあるものをうたがう)

「足無き蛇足ある者を疑う」とは、シンプルであるべきものに余計なものが加えられている場合、それを不自然で信頼できないと見なす教訓的な表現です。「足無き蛇」は、無駄を省いて本質だけで十分機能する状態を象徴し、「蛇足」は不要なものを加えることで価値を損なうことを意味します。この言葉は、余計な装飾や見せかけに惑わされず、本質を見極める重要性を説いています。現代においては、過剰な広告や情報に対し、批判的な思考を持つことが必要です。このフレーズは、シンプルさを重視し、物事の本質を見失わない姿勢を促す知恵といえます。

例文)
・・シンプルに伝えるべき内容なのに、足無き蛇足ある者を疑うように、本当に伝えたいことは何か考えるべきだね。

一寸先は蛇(いっすんさきはへび)

「一寸先は蛇」とは、わずか先の未来でさえ予測できず、危険や困難が潜んでいる可能性を示すことわざです。「一寸」は約3センチメートル、「蛇」は危険の象徴であり、「わずか先に何があるか分からない」という意味を持ちます。人生や仕事、人間関係など、先行きが不透明な状況で戒めや警告として使われます。例えば、新事業ではリスクを慎重に見極める必要があり、人間関係でも信頼が崩れる可能性を意識すべきです。現代社会の急速な変化の中で、このことわざはリスクに備える柔軟さと慎重さの重要性を教えてくれます。「油断大敵」や「人間万事塞翁が馬」とも関連し、不確実性に対応する教訓として活用できます。

例文)
・・一寸先は蛇だから、リスク管理を怠らないようにしよう!

鬼が住むか蛇が住むか(おにがすむかじゃがすむか)

「鬼が住むか蛇が住むか」という表現は、日本の伝統や民話に基づき、恐ろしい場所や危険な状況を象徴的に示す言葉です。「鬼」は力強く破壊的な存在、「蛇」は毒性や不気味さの象徴として、いずれも人が避けるべきものを表します。また、未知の領域や未踏の地への恐れを表現し、人々の不安や警戒心を比喩的に描いています。さらに、このフレーズは心理的な恐怖や葛藤を示すこともあり、「鬼」は怒りや憎しみ、「蛇」は裏切りや嫉妬などを象徴します。現代では心霊スポットやリスクの高い挑戦などにも使われ、危険性と興味深さを兼ね備えた状況を示す言葉として機能しています。

例文)
・・あの職場は、「鬼が住むか蛇が住むか」のようで、いつもピリピリした雰囲気だ・・
・・「鬼が住むか蛇が住むか」の状態で居心地が悪い

鬼が出るか蛇が出るか(おにがでるかじゃがでるか)

「鬼が出るか蛇が出るか」とは、「何が起こるかわからない」「予測不能な事態が起きるかもしれない」という意味の慣用句です。「鬼」と「蛇」は日本文化で恐れられる象徴であり、未知の危険や不安定な状況を示唆しています。この表現は、結果が見えない不安や挑戦への緊張感を伴う場面で用いられます。たとえば、新事業や交渉など、リスクの高い行動を表現する際に使われます。類似表現として「一寸先は闇」があり、未来の予測不能性を示します。ネガティブなニュアンスが強い言葉ですが、未知の可能性に挑む積極性を示す場面でも使用可能です。不確実な状況を簡潔に表現する表現として、現代でも幅広く使われています。

例文
・・成功するかどうか全く未知数だな。鬼が出るか蛇が出るかだけど、やるしかないよね!

蛙は口から呑まるる(かえるはくちからのまるる)

「蛙は口から呑まるる」ということわざは、「自分の言葉や行動が原因で災いを招く」という意味を持ちます。蛙が口を大きく開ける習性をもとにした比喩で、不用意な発言や行動がトラブルを引き起こす教訓を示しています。同様の表現に「口は災いの元」や「舌禍」があり、現代でも注意深い言葉遣いの大切さを教えてくれます。特に日常生活やビジネス、SNSなどでの発言において、「思ったことをすぐに口にしない」「発言前に一考する」ことが重要です。このことわざは、慎重さと配慮を持つことで信頼を守り、トラブルを未然に防ぐための戒めとして役立ちます。

例文
・・冗談のつもりで失礼なことを言ってしまった。・・まさに「蛙は口から呑まるる」だね。

画蛇添足(がだてんそく):蛇足(だそく)

「画蛇添足(がだてんそく)」は、中国の故事成語で「余計なことをして物事を台無しにする」という意味です。由来は『戦国策』に記された話で、酒を巡る競争で蛇を最初に描き終えた者が、余裕から蛇に不要な足を描き加えた結果、蛇ではなくなり酒を飲む権利を失ったという内容です。この話は「必要以上のことをしない」「シンプルさを重視する」ことの重要性を教えています。現代では、プロジェクトに余計な要素を加えて失敗したり、デザインで過剰な装飾が逆効果になるような場面で使われます。本質を見失わない冷静な判断や行動の重要性を示す言葉です。

例文)
・・シンプルなプレゼン資料だったのに、派手なアニメーションを追加したら逆に見づらくなってしまった。まさに画蛇添足だね!

草を打って蛇を驚かす(くさをうってへびをおどろかす)

「草を打って蛇を驚かす」とは、間接的な行動が予期しない結果を引き起こすことを意味することわざです。草むらを叩くと隠れていた蛇が驚いて飛び出してくることに由来します。この表現は、隠れていた真実や本心が明らかになる場合や、意図せず他者や状況に影響を与える場面で使われます。例えば、軽い発言が思わぬ問題を引き起こしたり、さりげない行動が意外な真実を浮かび上がらせることが挙げられます。類義語に「藪をつついて蛇を出す」があり、こちらは特に自分に不利な結果を招く場合に使われることが多いです。使用時は、行動の結果がどのような影響を及ぼすか注意する必要があります。

例文)
・・軽い冗談のつもりだったのに、先輩の過去の失敗を蒸し返す形となってしまい、草を打って蛇を驚かす結果になっってしまった。

蛇が蚊を呑んだよう(じゃがかをのんだよう)

「蛇が蚊を呑んだよう」という表現は、一般的ではありませんが、大きな存在が極めて小さなものを飲み込む状況を比喩的に示していると解釈できます。この表現は、大きさや力の不釣り合いを強調する場合に使えます。たとえば、大企業が小さなスタートアップを買収する場面や、プロがアマチュアと対戦する状況を指す比喩として適しています。また、取るに足らないことを大げさに扱ったり、不自然さや違和感を示す際にも使えます。

具体例として、「そんな小さなことを気にするなんて蛇が蚊を呑んだようだ」といったユーモラスな表現にも応用可能です。この比喩は、場面によって皮肉やユーモアを込めた効果的な表現になり得ます。

蛇の道は蛇(じゃのみちはへび)

「蛇の道は蛇」とは、同じ分野や業界の人がその内部事情や専門知識に詳しいことを意味することわざです。蛇が他の蛇の通った跡を知る様子に由来し、「同業者は同業者のことをよく知っている」という比喩的な意味を持ちます。例えば、業界歴が長い人が特有のトラブルを解決したり、裏事情を把握している状況に使われます。また、犯罪捜査やビジネスの場面でも、内部事情に通じた人の活躍を表現する際に用いられます。この表現は、専門知識や経験の重要性を強調し、他者の専門性を尊重する意識を促すものです。現代のあらゆる分野でその意義は広く適用されています。

例文)
・・この難局を解決するためには、業界歴20年の先輩に相談するのが一番だよ。蛇の道は蛇というしね〜。

蛇は一寸にして人を呑む(じゃはいっすんにしてひとをのむ)

「蛇は一寸にして人を呑む」とは、たとえ小さくても侮れない存在や、潜在的な危険性を持つものを意味します。蛇は小さいうちから獰猛で、成長すれば強力な捕食者になることから、小さな存在でも油断は禁物だという教訓が込められています。この言葉は、仕事や人間関係、ビジネスなどさまざまな場面で使われます。例えば、新人が後に大活躍する場合や、小さなトラブルが大きな問題に発展する場合などです。見た目や大きさだけで判断せず、物事の本質や潜在能力を見極めることの重要性を説いています。日常生活でも、小さなことにも真摯に向き合う姿勢を持つべきだと教えてくれる言葉です。

例文)
・・この小さな傷をそのままにしていたら、ひどくなってしまって・・。蛇は一寸にして人を呑むとは本当だね。何事も甘く見てはいけない。

長蛇を逸する(ちょうだをいっする)

「長蛇を逸する(ちょうだをいっする)」は、中国の古典『淮南子』に由来し、「大きな機会を逃す」という意味の表現です。「長蛇」は「長い蛇」、つまり大きな獲物を指し、「逸する」は「逃す」を意味します。この故事では、狩りの際に大きな蛇を取り逃がしたことが由来で、そこから重要な機会や利益を失うことを指すようになりました。

現代では、ビジネスやチャンスを失った状況で使われることが多く、例えば「プロジェクトの失敗で長蛇を逸した」という形で用いられます。文語的な表現でフォーマルな場面に適しており、類義語には「好機を逸する」や「大魚を逃す」があります。

杯中の蛇影(はいちゅうのだえい)

「杯中の蛇影」は、「思い込みや疑念が過剰になることで、実際には何でもないことを恐ろしく感じる」という意味の故事成語です。この成語は、中国の古典に由来し、ある宴席で客が酒を飲む際、杯の中に「蛇のような影」を見て気味悪く思い、不安から体調を崩してしまったという話が元になっています。後に原因が調べられ、実際には壁に掛けられた弓の影が杯に映っただけであると判明し、客の誤解が解けて安心するという結末です。この故事は、思い込みが生む不安の無意味さや、冷静な観察の重要性を教えています。現代でも、誤解や先入観による無用なトラブルを戒める教訓として活用されています。

例文
・・上司の一言に落ち込んでいたが、ただの雑談だったと知って安心した。まさに杯中の蛇影だった。

灰吹きから蛇が出る(はいふきからじゃがでる)

「灰吹きから蛇が出る」とは、意外な場所や予想外の状況から驚きや危険が生じることを表す言葉です。江戸時代に使われた煙草の灰を捨てる容器「灰吹き」から、普通ではありえない「蛇」が現れる場面をたとえています。この表現は、油断していると予期しないトラブルが起こり得ることを戒める意味も含みます。例えば、信頼していた人が突然裏切るような出来事や、安全だと思っていた場所で予想外の危険が発生することを指します。この言葉は、普段から注意深く行動し、予測不能な事態に備える大切さを教えています。日常生活やビジネスシーンでの例を交えると、読者にわかりやすく伝わるでしょう。

例文)
・・信頼していた先輩が裏で悪口を言っていたと聞いて、灰吹きから蛇が出る思いがした。

蛇に足なし魚に耳なし(へびにあしなしうおにみみなし)

「蛇に足なし魚に耳なし」ということわざは、物事の本質や自然な形を尊重すべきという教訓を含んでいます。蛇には足がなく、魚には耳が外側に見えませんが、それぞれがその特性を活かして生きています。このことわざは、見た目や他人との比較に囚われず、本来の姿や個性を大切にすることの重要性を教えています。また、無理に余計なものを加えるのではなく、自分に合った形で物事を進めるべきだというメッセージも込められています。現代では、自己啓発や個性の尊重といったテーマにも応用でき、ありのままの自分を受け入れることの大切さを示唆しています。

例文
・・新しいプロジェクトで、チームメンバーの強みを活かす方針を採用した。この方針は「蛇に足なし魚に耳なし」のように、無理にメンバーを同じ型にはめる必要はないことために採用した。

蛇に噛まれて朽縄に怖じる(へびにかまれてくちなわにおじる)

「蛇に噛まれて朽縄に怖じる」とは、一度恐ろしい経験をすると、それに似た無害なものまで過剰に恐れてしまう様子を表すことわざです。蛇に噛まれた人が、蛇とは無関係な腐った縄(朽縄)さえも蛇と勘違いして怖がる心理が由来です。たとえば、裏切りや失敗の経験がトラウマとなり、新しい挑戦や人間関係を避けてしまう状況などに使われます。このことわざは、経験を教訓とすることの重要性を示す一方で、過剰な恐れが行動を制限しないよう冷静な判断が必要であると教えています。英語の「Once bitten, twice shy」と同様の意味を持ち、慎重であることと恐れすぎることのバランスの大切さを説いています。

例文)
・・新人社員は初めてのプレゼンで上司に厳しく叱られて以来、「蛇に噛まれて朽縄に怖じる」状態になり、発表のたびに緊張で言葉が詰まってしまう。

蛇に睨まれた蛙(へびににらまれたかえる)

「蛇に睨まれた蛙」とは、「強大な脅威や圧力に直面し、恐怖のあまり身動きが取れなくなる状態」を表すことわざです。蛇が蛙を睨むと本能的な恐怖から蛙が動けなくなる自然界の現象に由来しています。日常生活では、威圧的な上司や困難な課題に直面し、圧倒されて何もできなくなる状況を指します。

例えば、プレゼンでのミスを厳しく指摘されて固まる場面や、試験官の厳しい視線で言葉が出なくなる場面などが該当します。この表現はネガティブに見えますが、自分の弱さや恐怖に気づき、対処する方法を考えるきっかけにもなり得ます。同様の意味を持つ表現には「尻込みする」があり、対義語には「臆せず挑む」や「堂々とする」が挙げられます。

蛇に見込まれた蛙(へびにみこまれたかえる)

「蛇に見込まれた蛙」とは、恐怖や圧倒される状況に直面して身動きが取れなくなる様子を表すことわざです。蛙が蛇にじっと見つめられて動けなくなる情景に由来し、特に精神的なプレッシャーや驚きで何もできなくなる状態を比喩的に表現しています。例えば、仕事で突然指名されたり、予期せぬ危機に直面した際に使われます。英語の「Deer in the headlights」(ヘッドライトに照らされ動けない鹿)と類似しています。このことわざは、恐怖に支配されず冷静さを保つ大切さを教えています。深呼吸や状況整理で冷静さを取り戻し、恐怖を乗り越える力を身につけることが重要です。

例文)
・・「会議中に突然意見を求められ、蛇に見込まれた蛙のように何も言えなかった。」

蛇の足より人の足見よ(へびのあしよりひとのあしみよ)

蛇の足より人の足見よ」という表現は、無駄なことに気を取られず、本質的で現実的なものに目を向けるべきだという教訓的な意味が込められていると解釈できます。蛇には足がないため、「蛇の足」は存在しないものや不要なものを象徴し、一方「人の足」は実際に役立つ現実的なものを指します。このことから、無駄な行為や幻想に惑わされず、実用的で価値のある選択をする重要性を説いていると言えます。日本のことわざ「蛇足」とも関連が深く、余計なことを省き、物事の本質に集中する姿勢を表しています。情報過多の現代では、必要な情報や行動を見極める指針として役立つ考え方です。

例文
・・「新しいプロジェクトを進めるなら、無駄な飾り付けをするよりも、実際に成果を出すための基本に集中すべきだ。蛇の足より人の足見よ、だね。」

蛇の一噛み(へびのひとかみ)

「蛇の一噛み」とは、小さな行動や言葉が大きな影響を与えることを比喩的に表現した言葉です。蛇は小さな体でも毒や鋭い攻撃で獲物を仕留めることから、この特性が転じて「少ない行為でも決定的な結果を生む」ことを意味します。また、油断している相手への突然の攻撃や、予想外の大きな効果をもたらすことの象徴としても使われます。たとえば、「一言で議論を変えた」や「些細な広告で売上急増」といった場面で用いられることがあります。関連する言葉には「油断大敵」や「一撃必殺」があり、警戒を促す教訓や小さな力の重要性を示す際に活用されます。

例文
・・小さな投資が蛇の一噛みの効果を発揮し、会社の売上を大幅に押し上げた。

蛇は竹の筒に入れても真っ直ぐにならぬ(へびはたけのつつにいれてもまっすぐにならぬ)

「蛇は竹の筒に入れても真っ直ぐにならぬ」ということわざは、「本質や性質は環境を変えても簡単には変わらない」という教訓を表しています。蛇の柔軟な体は真っ直ぐな竹の筒に入れても曲がるように、人や物事の個性や特性を無理に変えようとしても効果は薄いという比喩です。これは教育や指導、社会的な適応などさまざまな場面に通じ、個性を尊重し、その特性に合った環境を整えることの重要性を示しています。例えば、内向的な人を無理に社交的にするのではなく、その強みを活かす環境を用意することが大切です。このことわざは、個性を受け入れ、無理のない成長や適応を目指す姿勢を現代にも伝えています。

例文
・・上司は部下の個性を尊重するタイプだ。「蛇は竹の筒に入れても真っ直ぐにならぬ」と考え、それぞれの得意分野に合わせた仕事を割り振った結果、チームの成果が向上した。

蛇も一生、蛞蝓(なめくじ)も一生(へびもいっしょうなめくじもいっしょう)

「蛇も一生、蛞蝓も一生」とは、それぞれの命の価値を尊重することを説いた言葉です。蛇や蛞蝓のように、一見地味で避けられがちな生き物であっても、一つの命を持つ存在として平等に大切にされるべきという教訓を含みます。この考え方は、仏教の「一切衆生悉有仏性」や自然環境の保護にも通じ、生態系の中で全ての生き物が重要な役割を果たしていることを示しています。また、人間社会においても「立場や役割が異なっても、全ての人が等しく価値を持つ」という考え方と関連付けられます。この言葉は命の多様性を認め、他者や自然への思いやりを深める教えといえるでしょう。

例文
・・彼は目立たない存在だけれど、「蛇も一生、蛞蝓も一生」と思えば、どんな人も大切な役割を持っていると感じる。

藪に蛇なかれ村に事なかれ(やぶにへびなかれむらにことなかれ)

「藪に蛇なかれ村に事なかれ」は、余計なことをして問題や危険を引き起こさないよう戒める言葉です。「藪に蛇なかれ」は、藪を不用意に突くと隠れている蛇が現れ危険を招くことから、慎重に行動してトラブルを避けるべきだという教訓を示しています。「村に事なかれ」は、村(社会)で波風を立てず、平穏を保つことを重視する姿勢を表します。全体として、無駄なリスクを避け、社会や人間関係で調和を大切にすることの重要性を説いています。この言葉は、慎重な言動や無用な争いを避け、穏やかな環境を維持することを促す日々の行動指針となる格言です。

例文)
・・隣家の騒音が気になったが、直接苦情を言うと関係が悪化する可能性があると考えたAさんは、「藪に蛇なかれ村に事なかれ」を思い出し、管理会社を通じて冷静に解決を図った。

藪をつついて蛇を出す(やぶをつついてへびをだす):藪蛇

「藪をつついて蛇を出す」とは、余計なことをして思わぬ問題や災難を招くことを意味することわざです。「藪」を不用意に突くと隠れていた蛇が飛び出してくる可能性があることから生まれた表現です。例えば、職場で不用意に話題を持ち出すと、自分に不利な状況を招くことがあります。このことわざは、予測不能なリスクがある状況では慎重になるべきだという教訓を含みます。類似の表現として「触らぬ神に祟りなし」があり、危険を避けることの重要性を説いています。一方で、行動の前にリスクと結果をよく考えることの大切さを教える言葉でもあります。

例文)
・・噂好きなおばさんに深入りすると藪をつついて蛇を出すようなものだから、注意したほうがいいよ。

竜頭蛇尾(りゅうとうだび)

竜頭蛇尾(りゅうとうだび)は、「最初は勢いが盛んで立派だが、最後は振るわなくなる様子」を表す四字熟語です。文字通り「竜の頭と蛇の尾」という形を指し、最初は目立つが、終わりはしぼんでしまう意味があります。語源は中国の古い故事に基づいており、竜が力強さを、蛇の尾が弱々しさを象徴しています。

例えば、初日は盛り上がったキャンペーンがその後低調に終わった場合、「竜頭蛇尾だった」と表現できます。類義語には「尻すぼみ」、対義語には「有終の美」があります。計画や行動を成功させるためには、最後まで勢いを保つことが大切だと戒める言葉です。

例文)
・・彼のスピーチは冒頭は感動的だったが、途中から内容が散漫になり、竜頭蛇尾な印象を受けた。

昨年(辰年)の諺

昨年の辰年のことわざについてはこちらに書いていますので参考にしてみてください。

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