どうする家康で久松源三郎勝俊の最後がきになったので調べてみました。また、久松源三郎勝俊を演じるなにわ男子の長尾謙杜さんの演技についても期待できる点などについて書いていますので参考にしてみてください。
久松源三郎勝俊(松平康俊)の父親と母親
家康の義理の弟
久松源三郎勝俊の父親は久松俊勝、母親は於大の方です。於大の方は徳川家康の生母であり、久松源三郎は徳川家康の異父弟にあたります。
久松源三郎勝俊(松平康俊)と家康、信玄との年齢差
久松源三郎(長尾謙杜)は1552年生まれで、徳川家康(松本潤)は9歳年上の1543年生まれ、武田信玄(阿部寛)は1521年生まれで31歳差でした。
久松源三郎勝俊(松平康俊)に関係した有名なエピソード
命懸けの脱出劇
久松源三郎(長尾謙杜)は徳川家康(松本潤)の異母弟として生まれ育ち、11歳で今川氏真(溝畑淳平)の元に人質として送られました。さらにその五年後には駿河に攻め込んできた武田氏のもとに送られて甲斐の国で信玄公(阿部寛)のそば近くで暮らしたと言われています。その二年後、徳川と武田の関係が悪化して命の危機に陥った1570年の冬に家康は源三郎に、ひそかに甲斐の国から脱出するように命じました。源三郎は生還は果たしたものの、雪深い山を身一つで逃げたことから酷い凍傷でその両足の指を失ったと言われています。家康はそんな弟の忠義と献身を讃えて刀を授けました。
久松源三郎勝俊(松平康俊)の結婚相手
よく分かっていないので、ドラマではどうなるのか楽しみ
久松源三郎勝俊の正室は大村越前守の娘と伝わっていますが、名前や生年などの詳細については明らかにされていません。
久松源三郎勝俊(松平康俊)の子供は、何人いて、どうなった
跡取りの男子はいなかった!
源三郎は正室(大村越前守の娘)との間に娘を一人設けましたが、跡取りの男子はいませんでした。そのため、母の於大の方が実家の水野家から弟の水野忠分の息子・松平勝政を婿養子として迎え入れ、家督を継がせました。
久松源三郎勝俊(松平康俊)の最期
若くして最期を迎える
源三郎が亡くなったのは1586年、享年35歳でした。18歳で決死の逃避行の末に三河に戻った源三郎は、兄の元で懸命に働き、その功績が認められて32歳で駿河国の久能城を与えられましたが、その土地で没しています。おそらくは兄の家康のために懸命に働き、その若い命をすり減らしていたのではないでしょうか。
久松源三郎勝俊(松平康俊)の性格
無邪気で可愛らしい性格?
「どうする家康」の作中で、三河に戻った家康の元を於大の方とその夫・久松俊勝が訪ね、その折に二人の間に生まれた三男三女を伴っていました。その中で一番年上だった男子が源三郎です。「兄上!兄上!」と元気に慕う姿が無邪気で可愛らしく、それは母親の於大の方の教育の賜物であったと思われますが、彼は盲目的に異父兄の徳川家康のことを尊敬し、愛し、慕っていたのだと思われます。
久松源三郎勝俊(松平康俊)役のなにわ男子の長尾謙杜さんの演技に期待
史実をどう演じるのかが楽しみ!
長尾謙杜さんはアイドルグループ・なにわ男子のメンバーとしてとてもチャーミングな存在ですが、俳優としては2019年のドラマ「俺のスカート、どこ行った?」でデビューし、映画などにも出演するようになりました。今回は初めての本格的な時代劇に参加するということで、作中のビジュアルが発表されて話題になっています。目元の涼やかな若武者ぶり、幼い頃の無邪気さを残した雰囲気のお顔立ちですが、その彼が家康のために命をなげうって人質になること、さらに決死の脱出行を展開するという史実があるので、そのあたりをどう演じられるのかが楽しみです。
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