どうする家康の本多忠勝の最期!蜻蛉切(とんぼきり)はいつから?

どうする家康に登場する本多忠勝の最後(生涯)についてどうなっているのか気になったので調べてみました。本多忠勝が愛用していた蜻蛉切(とんぼきり)についての逸話も気になるところです。また本多忠勝を演じている山田裕貴さんについてもどういう人なのか簡単にまとめていますので参考にしてみてください。

目次

本多忠勝の父親と母親について

本多忠勝(山田裕貴)の父親は、本多忠高です。本多家は、代々松平家に仕える家柄だったと言います。母親は、小夜という名前で、植村氏義の娘ということしかわかっていません。植村氏義は、美濃国から遠江に移住し、松平家に仕えるようになったと言われています。 

本多忠勝とお市の方、徳川家康との年齢差について

本多忠勝(山田裕貴)の生まれた年は、1548年です。徳川家康(松本潤)が生まれた年は、1543年ですので、家康より5歳年下ということになります。お市の方(北川景子)の生まれた年は、1547年です。つまり、忠勝より1歳年上ということになります。 

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本多忠勝に関係した有名なエピソード

本多忠勝(山田裕貴)は、武芸に秀でた武将で、生涯、戦では一度も傷を負わなかったという伝承があります。(あくまで、伝承ですので事実かどうかは確かめようがありません。ですが、それほどまでに強かったということでしょう。)実際、彼は晩年、小刀を使用していた時に、手元が狂って小さな傷を負います。その時、「忠勝も傷を負ったら終わりだな」と呟いたと言う話が伝えられていて、その数日後に亡くなったそうです。まさに徳川家臣団最強の槍の使い手に相応しいエピソードですね。

忠勝(山田裕貴)は小牧・長久手の戦いではわずか500名の軍勢を率いて、8万人の秀吉(ムロツヨシ)の大軍と戦って、加藤清正(役者名不明)や福島正則(役者名不明)が忠勝を討ち死にするように秀吉に言いましたが、秀吉は「わずか500名の軍勢で戦っているのは秀吉の軍を常に止めておいて、家康(松本潤)の軍を遠ざけているからである」と言い、「家康を滅ぼしたときは忠勝を生け捕りにして、私の家人にしたい。」とも言いました。その感想は忠勝は武田軍の小松左近(役者名不明)から「家康に過ぎたるものが二つあり、それは唐の頭と本多平八」と言わしめただけあると思いました。

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本多忠勝の蜻蛉切(とんぼきり)をいつ使ったか?

6mの長槍

蜻蛉切は、柄の長さだけでも6mもあったという長槍です。そんなとてつもなく長い槍を戦場で自由自在に扱って戦っていたことから、並ならぬ運動神経を忠勝が持っていたことが分かるでしょう。ですが、そんな忠勝も老いによる体力低下には勝てず、晩年は柄を90cmほど短く切って使用していたようです。(それでも、老体の身で約5メートルの柄を持つ長槍を使用していることだけでも、十分レジェンド級と言えましょう。)ですから、蜻蛉切自体は、忠勝が一生涯、手入れや形を変えつつ愛着を持って使用していたと考えられます。

トンボを真っ二つに!

忠勝の槍は刃長43.8cmの笹穂型の大身槍で、穂先に止まったトンボを真っ二つにしたというエピソードがあります。実際に使ったのは、天正元年(1573年)の長篠城攻め、天正3年(1575年)の長篠の戦い、天正8年(1580年)の高天神城奪還戦で、家康にも「まことに我が家の良将なり」と褒められ、「蜻蛉が出ると、蜘蛛の子散らすなり。手に蜻蛉、頭の角のすさまじき。鬼か人か、しかとわからぬ兜なり」という川柳を詠まれたほどでした。

本多忠勝の結婚相手について(相手役の女優は誰?)

「どうする家康」では結婚相手は登場しない?

本多忠勝(山田裕貴)の正室は、於久の方と呼ばれる女性で、三河国の武将である阿知和玄鉄の娘です。彼女は、忠勝の嫡男の忠政含む二男二女を産んでいます。相手役の女優に関しては、そもそも登場しないか(ドラマの台詞上では、「我が妻が・・・」などと話題には上がるかもしれませんが)、登場してもあまり有名な女優さんが起用されることはないように思います。また、忠勝には、乙女の方と呼ばれる側室もいたそうですが、その女性に関しても正室同様にドラマに登場しない可能性が高いでしょう。

本多忠勝の結婚相手役は生田絵梨花?

忠勝の正室は於久の方で、阿知和玄鉄の娘で、忠勝が桑名藩に転封となったときは次男の忠朝のいる大喜多藩に移動しました。於久の方を演じる女優は生田絵梨花さんだと思われます。それはNHKの音楽番組にも出ていて、女優も他局でやっているからです。

本多忠勝の最期(生涯)

本多忠勝(山田裕貴)は、武芸に秀でて、亡くなる数日後に小刀で手に小さな傷を負ったくらいで、自分は終わりだなと呟いた程、戦傷と無縁でした。しかし、晩年になると病を患うことが多くなって、何度か隠居を家康に願い出ていたようです。でも、家康は、その度にそれを止めていたと言います。そんな彼が亡くなったのは、1610年。家康(松本潤)より5歳も若いのに、結局家康よりも早くに亡くなってしまうのです。(享年62歳。)家康は、自分で薬を調合するなど、健康オタクな面がありましたが、忠勝は、戦傷と無縁であったがために、その辺りのことにはあまり注意を払わなかったのでしょう。健康に関しては、過信しすぎるのも良く無いと忠勝から学ぶことが出来そうですね。

忠勝の最期は慶長15年(1610年)10月18日、桑名で亡くなっています。享年63歳です。忠勝は亡くなるときは「侍は首取らずとも不手柄なりとも、事の難に臨みて退かず。主君と枕を並べて討死を遂げ、忠節を守るを指して侍という」いう言葉を残しています。忠勝は亡くなる数日前に自分の持ち物に小刀で名前を彫っていて、手元が狂って、右手にかすり傷を追っていて、忠勝も傷を負うようになったら終わりだなと言っていて、自分の死を予測していたのではないかと思います。

本多忠勝の性格

本多忠勝(山田裕貴)の性格は、主君家康に対して忠義に厚く、それが戦国屈指の武芸の達人として彼を磨き上げる原動力になったと考えられます。現代風に言うと、超がつくほどの熱血タイプですね。正義感も強く、武士とはこうあるべきという信念を人一倍強く抱いていたと思われます。だからこそ、同じ本多姓であっても、のらりくらりタイプだけど知恵者の本多正信(松山ケンイチ)とは、あまり仲が良く無かったのでしょうね。 

忠勝はドラマで見ている限り、戦いに自信があり、年上である家康も圧倒するぐらいだったので、相当自信があったと思われます。また、本多正信のことを腰抜けと言っていたので、武術ができない人は武士でないと思っていたと思います。それから、祖父の代から松平家に使えているので、忠誠心はものすごくあるのではないかと思います。また、榊原康政と仲がよいのですが、康政はやる気がとてもあるので、やる気のない人はいやだったかもしれません。

「どうする家康」を演じているキャスト一覧はこちら!
登場人物の最期について書いています。

本多忠勝を演じている山田裕貴さんのプロフィール

山田裕貴さんは、1990年生まれ、愛知県出身の俳優です。所属は、ワタナベエンターテイメントとなっています。俳優デビューしたのは、特撮の『海賊戦隊ゴーカイジャー』のジョー・ギブケン(ゴーカイブルー)役でのこと。そんな彼は、実は大河ドラマ出演は、「どうする家康」が2回目。1回目は、2017年の「おんな城主 直虎」だったそうです。そんな彼に注目が集まるようになったのは、2019年放送の朝の連続テレビ小説「なつぞら」の小畑雪次郎役では、ないでしょうか。幼い頃から、ヒロインのなつ(広瀬すず)ではなく、その姉妹的存在夕見子一筋で、その愛情を貫き、将来は想い叶って夕見子と結婚します。一途に家康(松本潤)に忠義を尽くす本多忠勝と重なる部分があるように思います。ちなみに彼の父親は、実は、元プロ野球選手の山田和利。実際、山田裕貴さん自身も学生時代に野球に打ち込んでいた時期があったそうです。また、山田さんは、アニメや漫画が大好きであることも知られています。 

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