NHK大河ドラマの「どうする家康」でお葉(西郡局)の最後がどのようなものだったのか気になったので調べてみました。お葉の父親や母親、また、家康や瀬名との年齢差、性格などについても書いていますので参考にしてみてください。そして、お葉(西郡局)を演じる北香那さんについても紹介しています。
お葉(=西郡局)の父親と母親について
お葉の方(西郡局)の実の父親は三河国宝飯郡の柏原城主・鵜殿氏に従った加藤氏であると言われています。後に、鵜殿長忠の養女となり、家康の側室として仕えることになりました。母親については詳細は判明していません。また、鵜殿長持の娘と言う説もあります。
お葉(=西郡局)と家康、瀬名との年齢差
お葉の方(北香那)の生まれた年は判っていませんが、一説によると1548年とされています。家康より5歳年下と言うことになりますね。お葉の方が家康(松本潤)の側室に上がったのは1563~1564年頃と考えられ、1565年に家康の次女である督姫を産んでいます。その時、家康は22歳でした。また、正室の瀬名(有村架純)は家康と同年かもしくは少し年上であると伝わっています。
お葉(=西郡局)に関係した有名なエピソード
お葉の方(北香那)は鵜殿氏の出身であり、鵜殿長忠の養女として家康の元に仕えていました。鵜殿氏は今川家の忠臣であり、桶狭間の戦いで当時の当主鵜殿長照(野間口徹)が敵に取り囲まれて兵糧攻めにあっていた大高城に家康(当時の松平元康/松本潤)が米を届けて助けたという縁がありました。しかしその二年後に徳川軍と鵜殿長照は激突し、長照は討ち死にしています。こうした流れから、お葉の方は当初徳川家に対する鵜殿家の人質であったのでは?という説があるそうです。
お葉(=西郡局)の子供について、どうなったのか?
お葉の方が産んだのは家康の次女にあたる督姫(とくひめ)です。1565年のことでした。督姫は18歳で北条氏直の元に正室として嫁ぎました。これは織田信長の死によって徳川家と北条家の覇権争い(天正壬午の乱)が勃発しその和睦の条件の一つであったと言われています。後に北条氏が滅亡し氏直が死去すると家康の元に戻されて、豊臣秀吉の指示で池田輝政のもとに再び嫁いでいます。
お葉(=西郡局)の最期について
慶長11年(1606年)、関ケ原の戦いから6年後、お葉の方は当時家康が政務を行っていた伏見城で急死しています。1548年生まれとするのであれば、享年は58歳ということになります。彼女の死因など詳しいことは判明していませんが、娘の督姫の嫁ぎ先である池田家の関係者で家康の重臣である榊原康政が同日に亡くなっているため、『何か』不穏な事態が起こったのではないかというミステリアスな説もささやかれていましたが、定かではありません。
お葉(=西郡局)の性格について
お葉の方は賢くて気丈な女性?
実家方の鵜殿家とその主家である今川家が存亡の危機にある時に、側室とはいえ、ほぼ人質のように徳川家に差し出されたのではないかと考えられているお葉の方ですが、その娘である督姫も同様に北条家に嫁ぎ、母と娘で相当な苦労と生命の危機を乗り越えてきたものと思われます。そのため、お葉の方は賢くて気丈な女性だったのでは、と考えられます。
お葉(=西郡局)を演じる北香那さんに期待すること
気丈で美しい存在感に期待
お葉を演じる北香那さんは一作前の「鎌倉殿の13人」で源頼家の側室であり、公暁の母であったつつじを演じていました。その気丈で美しい存在感はまだ鮮明に心に残っています。それが時代を変えての再登場ですから、大河ドラマファンとしては嬉しい限りです。つつじは哀しい運命を噛みしめるように生きていましたが、今回の「どうする家康」ではお葉がどのようにして家康に仕え、側室に上がり、どう生きていくのかがとても楽しみになりました。
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