どうする家康で酒井忠次の最期!キャスト大森南朋の演技力は?

NHK 大河ドラマどうする家康で宴会芸で盛り上げている酒井忠次の生涯がどのようなものだったのか気になったので調べてみました。また、酒井忠次を演じている大森南朋さんの演技についてもコメントしていますので視聴の参考にしていただければ幸いです。

目次

酒井忠次の父親と母親について

酒井忠次の父親は、三河の松平家の家臣である酒井忠親です。忠次は、忠親の次男でした。一方、忠次の母親については、名前や出自など一切が、現在発見されている史料には、書かれておらず、従って不明となっています。

酒井忠次と織田信長、家康との年齢差

酒井忠次の生まれた年は、1527年です。織田信長が生まれたのが、1534年ですから、忠次の方が信長より7歳年上ということになります。一方の家康は、1543年生まれですので、忠次の方が16歳も年上となっています。

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酒井忠次に関係した有名なエピソード

三方原の戦いでの太鼓打ちの話

酒井忠次(大森南朋)に関する一番有名なエピソードは、三方原の戦いでの太鼓打ちの話でしょう。家康(松本潤)が武田信玄(阿部寛)の罠にまんまとはまった後、必死に逃走して当時、拠点にしていた浜松城に無事帰城したのを確認すると、忠次は、櫓に登って、太鼓を大きな音で打ち鳴らすことで、家臣たちに主君である家康の無事を知らせました。これを聞いた家臣たちは、安心すると共に、指揮が上がったと言います。徳川家臣団のムードメーカー的存在として場の空気を察する能力に長けた忠次ならではのエピソードでしょう。

忠次が濃姫を守るシーン

酒井忠次に関する有名なエピソードの一つに、豊臣秀吉が忠次の娘を嫁がせようとした際、忠次が「娘を嫁がせる前に自分を切腹させる」と言い放ち、秀吉を驚かせたというものがある。また、忠次が織田信長に仕えていた頃、信長が急逝した際には、信長の妻・濃姫を守って城を守り抜くという忠義の行動を見せた。このエピソードは、2021年に放送されたドラマ「酒井家のしあわせ」でも描かれ、酒井忠次役の大森南朋が見事に演じていた。特に、忠次が濃姫を守るシーンは圧巻で、感情の入り方や言葉遣いから、忠次の強い信念と誇り高い武士の心を見事に表現していたと感じた。

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酒井忠次の子供について

長男の家次が、忠次が隠居した後、家督を継ぎます。次男の康俊は、本多忠次の養子となり、以後本多姓を名乗ります。三男の信之は、小笠原家へ養子に入り、小笠原姓を名乗ることになります。他に男児は2人いたようですが、その2人に関しては不明となっています。娘は、4人いて、それぞれ成人し、無事他家へ嫁ぎました。

酒井忠次の「海老すくい」について

宴会部長!?

酒井忠次の得意芸といえば、海老すくいという踊りが挙げられます。この踊りを、酒の席でよく披露し、家康や他の家臣たちを大いに笑わせ、場を和ませていたようです。また、1586年に家康は、関東を統べる北条氏政と同盟を結びますが、その席でも忠次は海老すくいを披露したとか。年長者で重臣でありながら、そのように場を盛り上げる、現代で言うなら宴会部長的な愉快な一面を持っていたようです。

酒井忠次の「海老すくい」とは?

酒井忠次の「海老すくい」は有名です。これは、酒井忠次が徳川家康の前で海老を捕まえ、そのまま手に持ったまま家康に献上したというものです。この行為は、家康からも高く評価され、忠次はその後も家康に仕えることとなりました。このエピソードは、忠次の勇気や度胸、そして家康との信頼関係を表しています。また、海老すくいの技法は茶道にも取り入れられ、今でも伝えられています。

酒井忠次の最期について

1588年、酒井忠次は、長男の家次に家督を譲り、隠居を願い出ます。彼は年老いてくるにしたがって、目の病気を患い、隠居を願い出た時点では、ほとんど盲目の状態になっていたようです。その後は、京都で暮らし、1596年に、病気でその生涯を終えたと言われています。享年は、70歳でした。隠居後に彼が住んだ京屋敷は、家康ではなく豊臣秀吉から与えられたもので、従って、彼が家康だけではなく、秀吉からも重宝されていたことが分かります。秀吉は、優秀な人材を見つけると、大金を払ってでも自分の家臣にしたがるところがあります。そんな秀吉に、晩年の住居などの生活を保障されるとは、よほど忠次が、家臣として忠義に厚く、優秀であったことが分かります。自分の主君だけでなく、そのまた上の上司にまで気に入られるなんて、本当に良い家臣だったんだと思います。

酒井忠次の性格について

酒井忠次は、家康の家臣団の中でも、年長の方で、従って他の家臣たちから頼られる存在だったのではないでしょうか。また、彼自身、ムードメーカ的存在だったので、そういう意味でも慕われる、気さくで明るい人だったのでしょう。一方で、家康の嫡男、信康とその母親の瀬名が武田に通じていることを信長に咎められた時は、その処分を家康の使者として、直接信長から言い渡されたと言います。使者に立てられるくらいですから、交渉力などもあった、家康にとっても頼りになる家臣の一人だったと考えられるでしょう。

酒井忠次を演じる大森南朋さんにの演技について

芸達者な役者

大森南朋さんは、朝の連続テレビ小説「ちむどんどん」で主人公の父親役を演じました。その時、三線を自ら弾きながら歌を幾つか披露していましたね。「どうする家康」でも、場を盛り上げる踊り、海老すくいを自ら歌いながら踊り、そのひょうきんな人柄を演じています。演技はもちろんのこと、歌も踊りもこなすとは、芸達者な役者さんだなと思います。彼が出演した過去の大河ドラマで印象深い役柄に、「龍馬伝」の武市半平太役が挙げられますが、半平太は、土佐のこと、これからの日本のことを考える真面目で一途で、不器用な男でした。朝ドラ「ちむどんどん」も、仕事熱心な家族思いのお父さんという感じで、真面目で温かい面が強調されていたように思います。それらの役と比べると、今回の酒井忠次は、真面目さもあれば、気分が良いとすぐに海老すくいを踊り出すというノリの良いところもあって、新しい大森さんの一面が見れて面白いです。

どうする家康のキャスト一覧は、こちらです↓↓

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