馬は古くから人の暮らしや文化と深く結びつき、日本語の中にも数多くのことわざとして息づいています。とりわけ午年(うま年)にちなんだ諺には、人生の教訓や人間関係の本質、仕事や勝負の世界で役立つ知恵など、現代にも通じる意味が数多く込められています。本記事では、「生き馬の目を抜く」「馬が合う」「人間万事塞翁が馬」など、馬にまつわる代表的なことわざを、あいうえお順に分かりやすく解説しています。言葉の意味や由来、具体的な使い方を知ることで、日常会話や文章表現がより豊かになるはずです。午年にふさわしい縁起や学びを感じながら、馬のことわざの世界をじっくり味わってみてください。
午年(うま年)のことわざ(諺)
あいうえお順に、午年(うま年)の諺(ことわざ)を紹介しています!
生き馬の目を抜く(いきうまのめをぬく)
「生き馬の目を抜く(いきうまのめをぬく)」とは、非常に素早く、油断も隙もないほど抜け目なく立ち回ることを意味することわざです。生きて動いている馬の目を抜くことなど本来不可能に近いことから、「それほどまでに手際がよく、状況判断が早い」というたとえとして使われます。
具体例として、ビジネスの世界を考えてみましょう。人気商品が発売された瞬間、他社よりも一歩早く仕入れや販売戦略を整え、あっという間に市場を押さえてしまう企業があります。周囲が状況を把握している間に、すでに利益を確保しているようなケースは、まさに「生き馬の目を抜く」動きと言えます。
また、フリーマーケットやオークションでも、価値のある品を一瞬で見抜き、迷わず購入する人がいます。ほかの人が「どうしようか」と考えている間に行動してしまうため、結果として良い品を手に入れられるのです。
このことわざは、単なるずる賢さではなく、情報収集力や判断力、行動の早さが求められる厳しい競争社会を表す言葉として、現代でもよく使われています。

馬が合う(うまがあう)
「馬が合う(うまがあう)」とは、性格や考え方、感覚が自然と一致し、一緒にいて心地よい関係であることを意味することわざです。特別な努力をしなくても会話が弾んだり、価値観を理解し合えたりする相手に対して使われます。
由来は、人と馬の関係にあります。馬は人の気持ちや扱い方に敏感な動物で、相性の良い人とはスムーズに動きますが、合わない相手だと言うことを聞きません。そこから、人同士の相性を表す言葉として定着しました。
具体例として、職場の同僚を思い浮かべてみてください。仕事の進め方や考え方が似ていて、細かく説明しなくても意図が伝わる相手がいると、作業は驚くほどスムーズに進みます。このような関係は「馬が合う同僚」と表現できます。
また、初対面なのに話題や笑いのツボが合い、長年の知り合いのように感じる相手に出会うこともあります。そのとき、「あの人とは馬が合う」と言えば、自然な親しみやすさをうまく言い表しています。人間関係の心地よさを端的に伝える、日常的によく使われることわざです。
馬肥ゆる(うまこゆる)
「馬肥ゆる(うまこゆる)」は、秋になると作物が実り、馬も十分な餌を得て太るほど豊かになる季節であることを表す言葉です。一般には「天高く馬肥ゆる秋」という形で使われ、過ごしやすく実りの多い秋の情景を象徴しています。
もともと中国の古い詩に由来し、秋は空が高く澄み、草が豊かに育つため、馬が栄養を蓄えてたくましくなると考えられていました。日本ではこの表現が、収穫の喜びや自然の恵みを感じる季節感を伝える言葉として定着しています。
具体例として、秋になると新米や果物が店先に並び、食卓が一気に豊かになる様子が挙げられます。家族で旬の食材を味わいながら「まさに馬肥ゆる秋だね」と言えば、実りの季節を楽しんでいる気持ちが自然に伝わります。
また、スポーツや読書、行楽など何をするにも快適な時期で、心身ともに充実しやすいのも秋の特徴です。この言葉は、単なる季節の説明にとどまらず、豊かさや活力が満ちる時期を表す表現として、今も親しまれています。

馬には乗ってみよ人には添うてみよ(うまにはのってみよひとにはそうてみよ)
「馬には乗ってみよ人には添うてみよ(うまにはのってみよ ひとにはそうてみよ)」とは、物事や人の良し悪しは、実際に体験してみなければ本当のところは分からないという教えを表したことわざです。見た目や評判だけで判断するのではなく、自分で確かめることの大切さを伝えています。
昔は馬が生活や仕事に欠かせない存在でしたが、外見が立派でも乗り心地が悪い馬もいれば、見た目は地味でも非常に扱いやすい馬もいました。同様に、人も噂や第一印象だけでは本質は見えません。実際に一緒に過ごしたり、協力したりして初めて、その人の性格や信頼性が分かるのです。
例えば、新しい職場で最初は無口で近寄りがたいと感じていた同僚が、仕事を共にするうちにとても親切で頼れる存在だと分かることがあります。逆に、評判の良かった取引先が、実際に関わると約束を守らない人だった、というケースもあるでしょう。
このことわざは、先入観にとらわれず、経験を通して判断する姿勢の重要性を教えてくれます。人間関係や仕事、選択の場面で心に留めておきたい言葉です。

馬の背を分ける(うまのせをわける)
「馬の背を分ける(うまのせをわける)」とは、ごく短い時間の差や、ほんのわずかな違いによって結果が大きく左右されることを表すことわざです。馬が勢いよく駆け抜けると、その背中を分けるほどの一瞬の差で勝敗が決まる様子から、この表現が生まれました。
特に勝負事や競争の場面で使われることが多く、紙一重の差で明暗が分かれる状況を端的に言い表します。能力や実力はほとんど同じでも、判断の早さや運、不運といった小さな要素が結果を決めてしまう場合に用いられます。
具体例として、受験を考えてみましょう。合格ラインぎりぎりの点数で複数の受験生が並んだ場合、わずか1点の差で合否が分かれることがあります。努力の量に大きな差はなくても、その1点が「馬の背を分ける」決定打になるのです。
また、スポーツの決勝戦でゴール寸前まで並んで走り、写真判定で勝敗が決まる場面も典型例です。このことわざは、僅差の重みや、一瞬の判断の重要性を強く印象づける言葉として、今も使われ続けています。

馬の骨(うまのほね)
「馬の骨(うまのほね)」とは、素性や身元がはっきりせず、信用できない人物をあざやかに表す言葉です。「どこの誰か分からない者」「得体の知れない人物」といった意味合いで、やや否定的に使われます。
この表現の背景には、「馬の骨とも分からない」という言い回しがあります。骨だけになってしまえば、もともとどんな馬だったのか判別できません。そこから、人も出自や経歴が不明だと、その実力や人となりが判断できず、不安を感じるという考え方につながりました。
具体例として、突然「必ず儲かる投資話がある」と近づいてくる見知らぬ人物を想像してみてください。会社名や実績を聞いてもはっきりせず、説明もあいまいな場合、「馬の骨みたいな人の話は信用できない」と感じるのは自然な反応でしょう。
また、組織やチームの中でも、経歴や実績が全く分からないまま重要な役割を任されそうになると、不安が生まれます。このことわざは、相手を見極めるためには背景や信頼性が重要であるという教訓を含みつつ、軽い警戒心を表す表現として使われています。
馬の耳に風(うまのみみにかぜ):=馬耳東風、馬の耳に念仏
「馬の耳に風(うまのみみにかぜ)」とは、人の忠告や意見を聞いても全く心に留めず、聞き流してしまうことを表すことわざです。「馬耳東風(ばじとうふう)」「馬の耳に念仏」と同じ意味で使われます。どれも、せっかくの言葉が相手に届かない様子をたとえています。
馬は風が耳元を吹き抜けても気に留めず、そのまま前へ進みます。この様子から、注意や助言を受けても反応せず、行動を改めない態度が連想されました。相手の話を聞いているようで、実際には何も受け取っていない状態を指します。
具体例として、上司が部下に「締め切りは必ず守るように」と何度も注意しているのに、本人は聞き流して同じミスを繰り返す場合があります。このような態度は「まさに馬の耳に風だ」と表現できます。
また、健康のために生活習慣を改めるよう家族が助言しても、本人が全く気にせず行動を変えない場面でも使われます。このことわざは、人の話に耳を傾ける姿勢の大切さを、皮肉を込めて教えてくれる言葉です。
馬は馬づれ(うまはうまづれ)
「馬は馬づれ(うまはうまづれ)」とは、同じような性質や立場、価値観を持つ者同士は、自然と集まりやすいという意味のことわざです。馬が群れるとき、気性や歩調の合う馬同士で行動する様子になぞらえ、人間関係にも当てはめて使われます。
人は意識しなくても、自分と考え方や生活リズム、興味の近い人に親しみを感じます。そのため、共通点の多い相手とは会話が弾み、長く付き合いやすくなります。このことわざは、そうした自然な人間関係の成り立ちを端的に表しています。
具体例として、職場で同じ部署に配属された新人同士が、年齢や悩みが似ていることからすぐに打ち解けるケースが挙げられます。また、趣味のサークルでは、経験者同士が集まって行動し、初心者は初心者同士で固まることもよくあります。
この言葉は、「気の合う仲間と付き合うのは自然なことだ」と肯定的に使われる一方で、同じタイプの人間ばかりで集まると視野が狭くなる、という戒めとして使われることもあります。人間関係を考えるうえで示唆に富んだことわざです。

馬を牛に乗り換える(うまをうしにのりかえる)
「馬を牛に乗り換える(うまをうしにのりかえる)」とは、物事を急いで進める方法から、あえて遅くても着実で安全な方法へ切り替えることを意味することわざです。馬は速いが扱いが難しく、牛は遅いものの堅実で確実に進むことから、この対比が生まれました。
一見すると「後退」や「効率が悪い選択」に見える場合もありますが、状況によっては慎重さを重視した判断が、結果的に成功につながることを教えています。無理にスピードを求めるより、失敗のリスクを抑える選択が賢明な場合も多いのです。
具体例として、仕事の進め方を考えてみましょう。短期間で成果を出そうとして新しいツールや方法を次々に導入した結果、トラブルが続出してしまうことがあります。そこで基本的な手作業や既存のやり方に戻し、時間はかかっても確実に進める判断は、「馬を牛に乗り換える」選択と言えます。
また、勉強でも、難しい応用問題ばかりに挑戦して理解が追いつかない場合、基礎からじっくり学び直すことが有効です。このことわざは、速さよりも確実さを選ぶ勇気の大切さを教えてくれる言葉です。

馬を鹿(うまをしか)=鹿を指して馬となす
「馬を鹿(うまをしか)」は、「鹿を指して馬となす(しかをさしてうまとなす)」とも言い、明らかに間違っていることを、権力や立場を利用して正しいと押し通すこと、または事実をねじ曲げて人を従わせようとすることを意味することわざです。
由来は中国・秦の時代の故事です。宦官の趙高が皇帝の前に鹿を連れてきて「これは馬だ」と言い張り、家臣たちに意見を求めました。反論した者は処罰され、同調した者だけが生き残ったとされます。ここから、権力によって白を黒と言わせる行為の象徴として使われるようになりました。
具体例として、職場を考えてみましょう。誰が見ても失敗と分かる企画について、上司が「これは成功だ」と言い切り、部下に同意を強要する場面があります。本音では疑問を持っていても、反論できない空気が支配している状態は、まさに「馬を鹿」と言えるでしょう。
また、明確なデータがあるにもかかわらず、都合の悪い事実を無視して別の説明を押し通すケースも同様です。このことわざは、権力や立場に流されず、事実を見極める姿勢の重要性を強く戒める言葉として、現代にも通じています。
老いたる馬は路を忘れず(おいたるうまはみちをわすれず)
「老いたる馬は路を忘れず(おいたるうまはみちをわすれず)」とは、長年の経験を積んだ人は、年を重ねても大切な知識や判断力を失わないという意味のことわざです。一見すると体力や反応は衰えても、経験に裏打ちされた知恵は確かに残っていることを表しています。
この言葉は、中国の古典に由来し、年老いた馬が何度も通った道を正確に覚えていて、迷わず進める様子から生まれました。若く力のある馬よりも、経験豊かな馬のほうが頼りになる場面がある、という教えが込められています。
具体例として、職場で長年働いてきたベテラン社員を思い浮かべてみてください。最新のシステム操作は若手のほうが得意でも、トラブルが起きたとき、過去の事例を踏まえて冷静に対処できるのはベテランです。どこに注意すべきか、どんな判断が危険かを直感的に見抜く力があります。
また、家庭や地域でも、年配者の助言が問題解決の糸口になることは少なくありません。このことわざは、経験を尊重し、年長者の知恵に耳を傾ける大切さを教えてくれる言葉です。

毛を以て馬を相す(けをもってうまをそうす)
「毛を以て馬を相す(けをもってうまをそうす)」とは、物事の本質を見ず、表面上の一部分だけで全体を判断してしまうことの危うさを戒めたことわざです。馬の良し悪しを見極めるには体格や筋肉、気性など総合的な判断が必要なのに、毛並みだけで判断するのは的外れだ、というたとえから生まれました。
この言葉は、人や物事を評価するときに、見た目や肩書き、第一印象だけで結論を出してしまう態度への警告として使われます。外見が立派でも中身が伴わない場合もあれば、目立たなくても実力を秘めている場合もあるからです。
具体例として、採用面接を考えてみましょう。話し方が上手で経歴も華やかな応募者に好印象を持ちがちですが、実際の仕事では地道な努力ができず成果を出せないこともあります。一方、控えめで自己主張は少なくても、実務能力が高く信頼できる人材もいます。前者だけを選ぶのは「毛を以て馬を相す」判断と言えるでしょう。
このことわざは、本質を見抜くためには多角的な視点が必要だという大切な教訓を教えてくれます。

犬馬の労(けんばのろう)
「犬馬の労(けんばのろう)」とは、自分の働きや尽力をへりくだって表現する言葉で、「精一杯お仕えする」「力の限り働く」という意味を持つことわざです。犬や馬が主人のために黙々と働く姿になぞらえ、自分の労力を低く位置づけて述べる点が特徴です。
この表現は、主に目上の人や組織に対して使われ、感謝や忠誠心を示す謙譲のニュアンスを含みます。そのため、自分を誇る場面ではなく、「少しでもお役に立てれば幸いです」といった気持ちを伝えるときに適しています。
具体例として、会社で上司から大きなプロジェクトを任された場面を考えてみましょう。「この案件、私にできるでしょうか」と不安を感じつつも、「犬馬の労を尽くしますので、どうぞお任せください」と言えば、全力で取り組む覚悟と謙虚な姿勢が伝わります。
また、退職の挨拶で「在職中は犬馬の労を尽くしてまいりました」と述べることもあります。このことわざは、努力を誇示せず、相手を立てながら誠意を表す日本語表現の一つとして、今も大切に使われています。

小馬の朝駆け(こうまのあさがけ)
「小馬の朝駆け(こうまのあさがけ)」とは、物事の始まりだけ勢いがよく、長続きしないことを表すことわざです。小さな馬が朝のうちは元気よく走り回るものの、すぐに疲れてしまう様子から、最初だけ張り切って途中で失速する状態をたとえています。
この言葉は、やる気や意欲そのものを否定するものではなく、「継続する力が伴わなければ成果には結びつかない」という戒めを含んでいます。勢いだけで始めると、後半で息切れしやすいという教訓です。
具体例として、ダイエットや勉強を思い浮かべてみましょう。最初の数日は毎日運動し、食事管理も徹底していたのに、1週間も経たないうちにやめてしまう人がいます。このような状態は「小馬の朝駆け」と表現できます。
また、新しい仕事やプロジェクトでも、開始直後は活発に意見を出していたのに、次第に関心が薄れ、責任を果たさなくなるケースがあります。このことわざは、大切なのは最初の勢いよりも、地道に続ける力であるという点を分かりやすく教えてくれる言葉です。

死馬の骨(しばのほね)
「死馬の骨(しばのほね)」とは、一見すると無駄に思えることでも、将来のためにあえて行う価値のある行動を意味することわざです。主に「死馬の骨を買う」という形で使われ、先行投資や人材集めの姿勢を表します。
由来は中国の故事です。名馬を求めていた王が、すでに死んだ馬の骨を高値で買いました。それを見た人々が「この王は本気で馬を求めている」と理解し、やがて本物の名馬が次々と集まったといわれています。つまり、直接の利益はなくても、その行動が信頼や評判を生み、結果的に大きな成果につながったのです。
具体例として、会社がまだ利益を生まない新人や若手を積極的に育成するケースが挙げられます。すぐに戦力にならなくても、教育に力を入れる姿勢が評価され、優秀な人材が集まりやすくなります。これは「死馬の骨を買う」発想と言えるでしょう。
また、新規事業への投資や、無料での情報発信なども同様です。このことわざは、目先の損得だけで判断せず、長期的な価値を見る重要性を教えてくれる言葉です。

尻馬に乗る(しりうまにのる)
「尻馬に乗る(しりうまにのる)」とは、自分でよく考えたり判断したりせず、他人の行動や意見に安易に便乗することを意味することわざです。先頭を走る馬の後ろ(尻)についていく馬の姿から、主体性なく流れに乗る様子をたとえています。
この言葉は、多くの場合やや否定的な意味で使われます。周囲の雰囲気や流行に流され、自分の考えを持たない態度への戒めが込められているからです。結果として、失敗や後悔につながる可能性があることを示唆しています。
具体例として、投資や流行商品を考えてみましょう。SNSで「この株が必ず上がる」「この商品が大人気」と話題になると、内容をよく調べないまま購入してしまう人がいます。後になって価値が下がり、損をしてしまう場合、それは「尻馬に乗った」結果と言えるでしょう。
また、職場で多数派の意見に深く考えず同調し、後から問題点に気づくケースも同様です。このことわざは、周囲の動きに流されず、自分の頭で判断する大切さを教えてくれる言葉として、日常生活のさまざまな場面で使われています。

千軍万馬(せんぐんばんば)
「千軍万馬(せんぐんばんば)」とは、数えきれないほど多くの軍勢や馬を率いて戦場を駆け巡った経験があること、転じて非常に豊富な実戦経験を積んだ人物を表す言葉です。多くの場合、「千軍万馬の勇士」「千軍万馬をくぐり抜ける」といった形で使われ、修羅場を何度も経験した人物への敬意を含みます。
この言葉は、中国の古典に由来し、幾多の戦いを経験した武将の姿を誇張して表現したものです。単に年数を重ねたという意味ではなく、困難な状況を乗り越えてきた実績や胆力を強調する点が特徴です。
具体例として、ビジネスの世界を考えてみましょう。数多くの不況や競争を乗り越え、会社の立て直しや新規事業の成功を何度も経験してきた経営者は、「千軍万馬の経営者」と呼ばれることがあります。突発的なトラブルにも動じず、冷静に判断できるのは、過去の経験があるからです。
また、スポーツや政治の分野でも、重要な局面を何度もくぐり抜けてきた人物に使われます。このことわざは、経験の重みと、それが生む揺るぎない強さを端的に表す言葉です。

竹馬の友(ちくばのとも)
「竹馬の友(ちくばのとも)」とは、子どもの頃から一緒に遊び、長い年月にわたって親しい関係を続けている友人を指すことわざです。幼少期の無邪気な付き合いがそのまま大人になっても続いている、特別な友情を表します。
由来は、中国の故事にあり、竹で作った馬のおもちゃ「竹馬」で遊ぶ年頃の子ども同士が、成長しても変わらず親交を保っていたことから生まれました。利害関係や立場を超えた、純粋な信頼関係が込められています。
具体例として、地元の小学校時代からの友人を思い浮かべてみてください。進学や就職で離れて暮らすようになっても、久しぶりに会えばすぐに昔のように打ち解け、気取らず話せる相手は「竹馬の友」と呼ぶにふさわしい存在です。
また、困ったときに肩書きや損得を考えず、自然に力になってくれるのも、こうした友人の特徴です。このことわざは、長い時間を共に過ごすことで育まれる、かけがえのない友情の価値を表す言葉として、今も大切に使われています。

天高く馬肥ゆる秋(てんたかくうまこゆるあき)
「天高く馬肥ゆる秋(てんたかく うまこゆる あき)」とは、秋の空は高く澄み渡り、草木や作物が実って馬が肥えるほど豊かな季節であることを表すことわざです。もともとは自然の恵みにあふれた秋の情景を描いた言葉で、爽やかで過ごしやすい季節感を端的に伝えています。
この言葉は中国の古典に由来しますが、日本では主に「実りの秋」「食欲の秋」「活動の秋」といった前向きな意味合いで使われるようになりました。空気が澄み、暑さも和らぐため、心身ともに充実しやすい時期であることを象徴しています。
具体例として、秋になると新米や果物、旬の野菜が出回り、食卓が一段と豊かになります。また、涼しい気候のおかげで運動や読書、旅行もしやすくなり、「何をするにも気持ちがいい季節だ」と感じる人も多いでしょう。こうした場面で「まさに天高く馬肥ゆる秋だね」と使えば、季節の魅力が自然に伝わります。
一方で、近年では食べ過ぎや運動不足を戒める、少しユーモラスな表現として使われることもあります。自然の豊かさと人の暮らしの充実を同時に表す、味わい深いことわざです。

天馬空を行く(てんばくうをゆく)
「天馬空を行く(てんば くうをゆく)」とは、常識や既成概念にとらわれず、自由奔放で独創的な発想や行動をすることを表すことわざです。天に昇る馬が空を駆け巡るという、現実離れした雄大なイメージから、型にはまらない大胆さやスケールの大きさをたとえています。
この言葉は、発想力や想像力が豊かな人物を評価する場面で使われることが多く、必ずしも否定的な意味ではありません。むしろ、他人には思いつかない視点や、新しい道を切り開く力を称える表現として用いられます。
具体例として、企画会議で誰も考えつかなかった斬新なアイデアを次々に提案し、周囲を驚かせる人を思い浮かべてみてください。実現性はさておき、発想そのものが自由で魅力的な場合、「あの人の発想は天馬空を行くようだ」と表現できます。
また、芸術家や作家が、独自の世界観で作品を生み出す姿にも当てはまります。このことわざは、枠にとらわれない発想の価値と、自由な想像力の力強さを象徴する言葉です。

駑馬に鞭打つ(どばにむちうつ)
「駑馬に鞭打つ(どばにむちうつ)」とは、能力や才能に恵まれていなくても、努力を重ねて自らを励まし、精一杯前進しようとすることを意味することわざです。「駑馬」とは足の遅い馬のことで、その馬に鞭を打って進ませる様子から、自分の力不足を自覚しながらも怠らず努力する姿勢をたとえています。
この言葉は、他人を無理に急き立てる意味ではなく、自分自身に対して使う謙虚な表現である点が特徴です。「才能がないからこそ、人一倍努力する」という前向きな覚悟が込められています。
具体例として、勉強が得意ではない学生が、周囲の優秀な同級生に刺激を受けながら、毎日コツコツと復習を続ける場面を想像してみてください。成績は急には伸びなくても、少しずつ理解が深まり、最終的に目標を達成できれば、それは「駑馬に鞭打って」努力した結果と言えるでしょう。
また、社会人が苦手分野の克服に地道に取り組む場合にも使われます。このことわざは、才能よりも継続的な努力の尊さを教えてくれる言葉です。

人間万事塞翁が馬(にんげんばんじさいおうがうま)
「人間万事塞翁が馬(にんげんばんじ さいおうがうま)」とは、人生の出来事は一見すると幸運や不運に見えても、その結果がどう転ぶかは分からないという意味のことわざです。良いことが悪い結果につながることもあれば、悪いことが後に幸運をもたらすこともある、という人生観を表しています。
由来は中国の故事です。国境近くに住む老人(塞翁)の馬が逃げてしまい、周囲は不幸だと嘆きました。しかし後にその馬は名馬を連れて戻ってきます。今度は幸運と思われましたが、息子がその馬から落ちて足を折ってしまいます。ところが戦争が起こった際、足を負傷していたため徴兵を免れ、命が助かりました。この一連の出来事から、吉凶は簡単に判断できないことが示されています。
具体例として、会社での異動を考えてみましょう。希望していなかった部署に配属され、最初は不満を感じたものの、そこで新しいスキルや人脈を得て、後に大きな評価につながることがあります。
このことわざは、目先の結果に一喜一憂せず、長い目で物事を見る大切さを教えてくれる言葉として、今も広く使われています。

馬脚を露す(ばきゃくをあらわす)
「馬脚を露す(ばきゃくをあらわす)」とは、隠していた正体や欠点、うそやごまかしが思わぬきっかけで表に出てしまうことを意味することわざです。うまく取り繕っていたつもりでも、油断した瞬間に本性が現れる様子を表します。
この言葉の由来は、中国の芝居にあります。馬に扮した役者が布をかぶって演じていたところ、動いた拍子に中の人の足、つまり「馬脚」が見えてしまったことから生まれたとされています。見えないはずの部分が露出したことで、作り物だと分かってしまう状況をたとえています。
具体例として、知識が豊富なふりをして会話に加わっていた人が、専門的な質問をされて答えられず、急に話をそらし始める場面があります。このとき、その人は「馬脚を露した」と言えるでしょう。
また、誠実そうに見えた取引先が、契約の最終段階で不利な条件を隠そうとしていたことが判明する場合も同様です。このことわざは、ごまかしや虚勢はいずれ見抜かれるという戒めとして、日常や仕事の場面で使われています。

白馬は馬に非ず(はくばはうまにあらず)
「白馬は馬に非ず(はくばはうまにあらず)」とは、言葉の定義や理屈をこねて、本来同じものを別物のように扱う詭弁(きべん)を表すことわざです。一般的には「白い馬も馬の一種」であるにもかかわらず、それを否定する理論の不自然さを皮肉っています。
この言葉は中国の古代思想に由来します。ある思想家が「馬」という概念と「白い」という性質を切り分け、「白馬」は「馬」という集合とは別だと主張しました。論理としては筋道が立っているように見えますが、日常感覚からすれば無理があり、現実を混乱させる議論と受け取られました。
具体例として、職場の会議を考えてみましょう。明らかに業務の一部である作業について、「それは“仕事”ではなく“作業”だから担当外だ」と強引に責任を逃れようとする人がいます。こうした理屈は、まさに「白馬は馬に非ず」の考え方です。
このことわざは、言葉遊びや理屈だけで本質を見失う危うさを戒めています。論理は大切ですが、現実や常識から離れすぎると、人を納得させるどころか信頼を失うことを教えてくれる言葉です。

馬耳東風(ばじとうふう)
「馬耳東風(ばじとうふう)」とは、人の意見や忠告を聞いても全く心に留めず、聞き流してしまうことを意味することわざです。東から吹いてくる風が馬の耳を通り抜けても、何の影響も与えない様子にたとえており、「馬の耳に風」「馬の耳に念仏」とほぼ同じ意味で使われます。
この言葉は、相手の話を聞く姿勢がなく、注意や助言が行動の改善につながらない状態を表します。そのため、批判や皮肉を込めて使われることが多いのが特徴です。
具体例として、学校や職場の場面を考えてみましょう。上司や先生が何度も同じ注意をしているのに、本人はその場ではうなずくだけで、後になって同じ失敗を繰り返す人がいます。このような態度は「注意が馬耳東風になっている」と表現できます。
また、健康のために生活習慣を改めるよう周囲が助言しても、全く聞く耳を持たない場合にも使われます。このことわざは、人の話に耳を傾けることの大切さと、聞き流すことの危うさを分かりやすく示している言葉です。

馬鈴を重ねる(ばれいをかさねる)
「馬鈴を重ねる(ばれいをかさねる)」とは、疑いを重ねて用心深くなること、何重にも注意を払うことを意味することわざです。馬鈴とは、馬の首につける鈴のことで、音によって居場所を知らせたり、盗難や事故を防いだりする役割がありました。その鈴を一つではなく重ねて付けることから、「用心に用心を重ねる」という意味が生まれました。
この言葉は、慎重さが求められる場面で使われます。必要以上に疑うというより、「万が一」に備える姿勢を表す点が特徴です。特に、失敗が大きな損失につながる状況では、馬鈴を重ねるような慎重さが評価されます。
具体例として、重要な契約書の確認を考えてみましょう。内容を一度読むだけでなく、時間を置いて再確認し、さらに第三者にもチェックしてもらう行為は、まさに「馬鈴を重ねる」対応です。
また、旅行前に戸締まりや持ち物を何度も確認する行動も同様です。このことわざは、慎重さは臆病さではなく、失敗を防ぐ知恵であることを教えてくれる言葉として使われています。

将を射んと欲すれば、まず馬を射よ(しょうをいんとほっすればまずうまをいよ)
「将を射んと欲すれば、まず馬を射よ(しょうをいんとほっすれば まずうまをいよ)」とは、大きな目的を達成したいなら、いきなり中心人物や本丸を狙うのではなく、まずは周辺や基盤となる部分から攻めるべきだという意味のことわざです。
戦場では、敵の将を倒すことが最終目標ですが、将は馬に乗って機動力を持っています。そこで先に馬を射てば、将の動きを封じ、結果的に討ち取りやすくなる、という実践的な戦略から生まれました。ここから転じて、物事は段階を踏み、要所を押さえて進めることが大切だと教えています。
具体例として、営業活動を考えてみましょう。いきなり決裁権を持つ社長に売り込もうとしても、相手にされないことがあります。そこでまず、担当者や現場の責任者と信頼関係を築き、商品の良さを理解してもらえば、自然と上層部へ話が通りやすくなります。これは「将を射んと欲すれば、まず馬を射よ」の考え方です。
また、難関試験に挑む際、最初から応用問題ばかり解くのではなく、基礎を固めることも同様です。このことわざは、近道に見える方法ほど失敗しやすく、着実な手順こそが成功への近道であることを教えてくれます。

馬子にも衣装(まごにもいしょう)
「馬子にも衣装(まごにもいしょう)」とは、どんな人でも身なりや外見を整えれば、それなりによく見えるものだという意味のことわざです。馬子とは、昔、馬を扱い荷物を運ぶ仕事をしていた人のことで、当時は身なりが質素な存在として見られていました。その馬子でさえ、きちんとした衣装を着れば立派に見える、というたとえから生まれています。
このことわざは、外見の重要性を端的に表しています。中身が大切なのは当然ですが、人はまず見た目から印象を受け取るため、服装や身だしなみが与える影響は小さくありません。
具体例として、就職活動を考えてみましょう。普段はラフな服装の人でも、スーツを着て髪型を整えるだけで、落ち着いた印象や信頼感が生まれます。能力が同じでも、第一印象が良いことで評価が高まることは珍しくありません。
また、結婚式や式典で、普段は目立たない人が正装すると「雰囲気が全然違う」と驚かれることもあります。このことわざは、外見を整えることは自分をよく見せる工夫であり、場にふさわしい装いの大切さを教えてくれる言葉です。

竜馬の躓き(りゅうめのつまずき)
「竜馬の躓き(りゅうめのつまずき)」とは、どれほど優れた人物や名人でも、時には思いがけない失敗をすることがあるという意味のことわざです。「竜馬」とは一日に千里を走るといわれる名馬のことで、そのような優秀な馬でさえ、道でつまずくことがあるというたとえから生まれました。
この言葉は、失敗そのものを責めるためではなく、「完璧な人間はいない」という現実を示し、失敗を過度に恐れなくてよいという含みを持っています。また、他人の失敗に対して寛容になる姿勢を促す意味もあります。
具体例として、仕事の場面を考えてみましょう。長年実績を積み、周囲から信頼されているベテラン社員が、うっかり基本的なミスをしてしまうことがあります。そのとき、「あの人でも失敗するのか」と驚くより、「竜馬の躓きだ」と受け止めれば、過度な評価の低下や非難を避けることができます。
また、試験やスポーツの試合で、実力者が本番で力を出し切れない場合にも使われます。このことわざは、失敗を成長の一部として捉え、次につなげる大切さを教えてくれる言葉です。

老馬の智(ろうばのち)
「老馬の智(ろうばのち)」とは、年を重ねた人が長年の経験によって身につけた知恵や判断力は、今なお価値があるという意味のことわざです。若さや体力は衰えても、経験に裏打ちされた知恵は簡単には失われない、という考え方を表しています。
この言葉は、中国の故事に由来し、道に迷った軍勢が老いた馬の導きによって正しい道を見つけた、という話に基づいています。若くて力のある馬よりも、道を知り尽くした老馬のほうが頼りになったことから、「経験の重み」を象徴する表現として使われるようになりました。
具体例として、職場のベテラン社員を考えてみましょう。最新のシステム操作は若手のほうが得意でも、トラブルが起きた際に「過去にも似たケースがあった」と冷静に対処法を示せるのは、経験を積んだ人です。その判断が問題解決の近道になることは少なくありません。
また、家庭や地域でも、年配者の助言が思わぬ形で役立つ場面があります。このことわざは、年長者の経験や知恵に敬意を払い、活かす姿勢の大切さを教えてくれる言葉です。

昨年(巳年)の諺

