どうする家康でお市の方(北川景子)の生涯!誰と結婚して最期は?

どうする家康でお市の方を演じている北川景子さんが、とってもはまり役で今後の話の展開が楽しみです。ところでお市の方の生涯(最後)がどうなっているのか、今更ながら気になったので調べてみました。NHK の大河ドラマなのである程度史実に基づいて作られているため、お市の方についてはどのような展開になるのか、大体分かっています。細かいところや史実がはっきりしていない部分に関しては、ドラマの中で面白く描かれていくと思いますので楽しみですね。

目次

どうする家康でお市の方(北川景子)の生涯

お市の方(北川景子)の父親と母親

お市の方(北川景子)の両親は、現在の歴史上の通説として父が織田信秀とされ、母が継室・土田御前とされています。ドラマでは、藤岡弘が織田信秀を演じています。織田信秀(藤岡弘)は、尾張の虎と称された勇猛果敢なだけでなく野心家であったとされる武将であり、今川氏と同様に岡崎城主・松平広忠(飯田基祐)から幼少期の徳川家康(川口和空)を人質とした武将です。土田御前は、近年発見された桶狭間の戦いにおける今川氏の戦死者名簿に六角氏270に余りが織田信長(岡田准一)に味方した記述があり、佐々木六角氏後裔土田政久や六角高頼など六角氏所縁の娘とする説が濃厚になっています。

お市の方(北川景子)と織田信長や徳川家康との年齢差

お市の方(北川景子)は、天正11年4月24日(1583年6月14日)に越前北ノ庄城で享年37歳で自害した事が史実として判明していることから逆算して、天文16年(1547年)に生誕されたとされているだけで、正確な生誕日を示す資料はありません。織田信長(岡田准一)は、天正10年5月12日(1534年6月23日)に誕生しているので、一般的に年齢差は13歳とされています。徳川家康(松本潤)は、天文11年12月26日(1543年1月31日)に誕生しているので、一般的に年齢差が4歳差とされています。

お市の方(北川景子)の結婚相手!誰と結婚したのか?

お市の方(北川景子)が浅井長政の後妻となった経緯

お市の方の結婚は、織田信長(岡田准一)が上洛に備えて北近江路を確保する為の政略結婚とされています。『補足』お市の方(北川景子)の結婚は、永禄7年8月12日(1565年)に六角義賢が浅井家と交渉したものの決裂したとされ、永禄10年(1568年)9月から3月頃に行われた2回目の交渉で成立したとされています。1回目の交渉決裂の背景は、お市の方(北川景子)の長女である茶々が浅井家の系譜に記載されていない事から織田信長(岡田准一)と関係があったともされる事があり、斉藤道三をはじめ斉藤家が織田信長(岡田准一)を実際に当時、関係があったことを暗に意味する変態「たわけ者」と呼んでいる事実があります。また、戦国時代は、12歳から16歳で結婚していた時代なのに、絶世の美女でありながら21歳で浅井氏に輿入れしたのもおかしいとされています。

お市の方(北川景子)が柴田勝家と再婚した経緯

豊臣秀吉(ムロツヨシ)が、織田信長(岡田准一)の存命中からお市の方(北川景子)に懸想していた事は非常に有名な話ですが、明智光秀を討った豊臣秀吉(ムロツヨシ)は妻帯者だった事に加えて、正室高台院は恋愛結婚かつ豊臣秀吉も頭の上がらない女性であった事からお市の方(北川景子)を側室にできなかった。そして、織田信長(岡田准一)は、天正10年(1582年)に起こった「本能寺の変」で自害の末果てました。そこで問題になったのが後継者です。これが話し合われたのが「清州会議」。ここで筆頭の重臣であった柴田勝家(吉原光夫)は織田信長(岡田准一)の三男の織田信孝を推していましたが、後継者に決定したのは豊臣秀吉(ムロツヨシ)が推していた信長の孫の「三法師」でした。さらに土地の再分配でも柴田勝家(吉原光夫)より豊臣秀吉(ムロツヨシ)の方が優位に立ってしまったため、その不満を解消するべく、柴田勝家(吉原光夫)とお市の方(北川景子)の結婚の承諾がなされたのです。

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お市の方(北川景子)の最期

史実とドラマでの描かれ方ついて

お市の方(北川景子)は、兄・織田信長が討たれた天正10年(1582年)8月に岐阜城で婚儀を執り行い柴田勝家(吉原光夫)の本拠地である北ノ庄城に輿入れをしました。柴田勝家(吉原光夫)は自分の城であった越前北ノ庄城に帰り着くが、なおも豊臣軍は激しく城を攻め立てていました。柴田勝家(吉原光夫)は自害する覚悟を決めました。そこで、お市の方(北川景子)と三人の娘たちに落城する前に逃げるように申し渡しましたが、お市の方(北川景子)はこれを拒否して、娘たちだけ逃がすことにしました。そしてお市の方は、4月23日北ノ庄城の本丸天守閣での宴に参加し、4月24日炎上する天守閣の中で自害されたとされています。享年37歳とされています。後に豊臣秀吉(ムロツヨシ)や徳川秀忠などに嫁ぐ3姉妹は、柴田勝家(吉原光夫)の願いで豊臣秀吉(ムロツヨシ)に保護されました。しかし、ドラマでは、言いなりの人生を送ったのに、人生を自由に生きていけるような男勝りではなく愛する人に従順な人物だったのかもしれませんね。

お市の方(北川景子)の最期を知った家康の気持ち

徳川家康(松本潤)は、永禄3年(1560年)の桶狭間の戦い以降、織田信長(岡田准一)と同盟しているのでお市の方(北川景子)と面識があったと考えられますが、たわけ者が溺愛する妹・お市の方(北川景子)を家臣晒すとは考えにくい。目の上の豊臣秀吉(ムロツヨシ)が、懸想している女性なのであまり良い感情を抱いていなかっと考えられ、お市の方(北川景子)が自害した事に何の感情も抱かなかったと思います。それよりも、豊臣秀吉(ムロツヨシ)を牽制する最右翼だった柴田勝家(吉原光夫)が自刃した方に思い入れが大きく、豊臣秀吉への臣下願いを出さねければならない事が悔しかったはずです。

「どうする家康」において、お市の方(北川景子)はどうやら、徳川家康(松本潤)が初恋の相手だった様子で、一時は婚礼の準備まで進められる場面もありました。ですので、徳川家康(松本潤)にとっては、幼い頃から知っている幼馴染や好意を寄せられていた相手として、最期を知った時は非常に大きなショックを受けたのではないかと推測します。結婚には至らなかった訳ですが、お市の方(北川景子)の心の内を聞いていたりするので、悔しい思いをするのかとも思います。

「どうする家康」を演じているキャスト一覧はこちら!
登場人物の最期について書いています。

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まとめ

お市の方(北川景子)は、当時の婚期から大きく外れた21歳で嫁いだ事実と斉藤氏からたわけ者と揶揄される織田信長(岡田准一)との近親相姦の噂に苦しめられた女性ですが、2人の夫との夫婦仲が良かった所に好感が持てるだけでなく9ヶ月にも満たない結婚生活だった柴田勝家(吉原光夫)と共に自害する情の深さに驚かされます。しかし、婚家の離反から織田信長(岡田准一)を救った袋の小豆など機知に富んだ才女でありながら、何故織田信長(岡田准一)や豊臣秀吉(ムロツヨシ)の言いなりに生きてしまったのか残念です。

お市の方(北川景子)は美しく、非常に頭も良い女性とされているので、戦国時代をあちらこちらに使われる道具のような人生は正直我慢ならなかったのではないのかと思います。浅井長政に嫁いでいるときの「あずきの小袋」の件などでは、自分の立場を葛藤して考え抜いた、女なりの戦い方というのを実行したのではないかと推測します。そして最期はまるで武士かのごとく潔く自分の人生を終わらせた、まるで自分が武将のごとくの強い女性だったのではないかと思いました。

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