どうする家康で奥平信昌の最期!キャストの白洲迅についても!

大河ドラマ「どうする家康」で奥平信昌の最後がどんな感じだったのか、気になったので調べてみました。また、奥平信昌を演じるキャストの白洲迅さんについても、「どうする家康」でどんな演技をされるのか、期待するところを書いています。視聴の参考になっていただければ幸いです。リコカツを演じた時の白洲迅さんが印象に残っていますが、どうなるんでしょうね?

目次

奥平信昌の父親と母親について

奥平信昌の父親は三河の有力国人奥平定能(さだよし)、母親は牧野成種の娘と言われています。母方の実家・牧野家は戦国末期から松平家(徳川家)に仕えた名門で、後に譜代の家柄として維新まで忠節を尽くした一族として知られています。

奥平信昌と家康、亀姫との年齢差について

奥平信昌は1555年生まれで、亀姫は1560年生まれです。年齢差は5歳で、結婚は信昌が21歳の時でした。信昌を演じる白洲迅さんは現在30歳、亀姫を演じる當間あみさんはリアル16歳なので、初々しい夫婦の姿が見られそうです。徳川家康(松本潤)の生まれ年は1543年のため、年齢差は12歳です。

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奥平信昌に関係した有名なエピソード

織田信長から『信』の一文字を与えられる

奥平信昌(白洲迅)は幼名を九八郎、その後名を改めて貞昌と名乗っていました。1575年、二十歳の時に長篠の戦いを経験し、織田・徳川軍の一員として奮戦しています。その武勇を褒めたたえられたことから、織田信長(岡田准一)から『信』の一文字を与えられて信昌に改名したといわれています。また、この時に後の舅となる徳川家康(岡田准一)から丁寧に労われ、家臣一同もさまざまな特権を安堵されたとのことです。亀姫の輿入れはその翌年のことでした。

奥平信昌の子供について、どうなったのか?

正信は亀姫との結婚後に生涯側室を持たず、二人の間には家昌・家治・忠政・忠明の4人の男子と一人の姫が生まれます。家昌は祖父・家康から『家』の字を与えられた後に関ケ原の戦いで上田城攻めを経験、下野国宇都宮藩の初代藩主となりました。長男の奥平家昌は徳川家康にとって最年長の男孫であり、慶長5年の関ヶ原の戦いでは木曾路を進む徳川秀忠に従い、真田昌幸の信濃上田城を攻めました。次男の松平家治は家康の養子に臨まれ松平姓を拝領しましたが、わずか14歳で亡くなったとされています。三男の奥平忠政は大坂冬の陣への出陣が命じられる直前の慶長19年に死去しています。四男の松平忠明は慶長20年からの大坂夏の陣で美濃国の諸大名を率いて大和路勢三番組大将として道明寺・誉田の戦い、天王寺・岡山の戦いに加わりました。そしてその戦功が考慮され摂津大坂藩10万石の藩主となり、戦災復興にあたりました。

奥平信昌の正室と娘婿となった経緯

1573年当時の三河は徳川家、織田家、そして攻め込んでくる武田家の勢力が入り乱れていた時期でした。家康は武田信玄(阿部寛)や、その死後、息子である武田勝頼(眞栄田郷敦)の侵攻を牽制するために三河の有力者だった奥平定能を自軍に引き入れるべく、娘の亀姫と貞昌(後の信昌)との婚約を申し入れたのです。また同時に信昌の姉妹を徳川家の重臣・本多家に嫁がせるという二重結婚の盟約を結んでいました。実はその当時、貞昌(信昌)には妻がおり、武田家に人質として送られていましたが、その妻とは離縁したと言われています。

奥平信昌が亀姫を正室にし、娘婿となった経緯については、織田信長が大きく影響しています。元亀4年頃に家康は奥三河における武田氏の勢力を牽制するため、有力な武士団であった奥平氏を味方に引き入れることを考え、当主であった奥平貞能に使者を送りました。ただし、その回答が芳しくなかったことから家康が織田信長へ相談したところ、「家康の長女である亀姫を、奥平貞能の長男である信昌の正室にするように」との意見を伝えたとされています。

奥平信昌の最期について

1600年、関ケ原の戦いにも参戦した信昌はその戦いぶりの功績として上野小幡3万石から美濃国加納10万石へ加増転封されています。翌年には隠居して、三男の忠政に家督・藩主の座を譲り、隠居しました。それから13年後に勃発した大坂冬の陣に際しては、その高齢を理由に自らが出陣することなく、翌年の大坂夏の陣の直前の1615年慶長20年(元和元年)に死去しています。享年60歳でした。松平家から徳川家への変遷と同時に戦国時代を生き抜いた信昌は、ただ娘婿というだけではなく、実力で徳川幕府開闢の功労者として重用されており、徳川家の長期政権の始まりを見届けたのだと思います。
大分県中津市にある奥平神社では、毎年5月21日に奥平家の子孫が信昌の長篠籠城を偲び、「たにし祭」を行っていることから、子孫にとっても奥平信昌の功績が誇らしいものであることがうかがえます。

奥平信昌の性格について

冷静沈着で愛情豊か

父・奥平定能とともに冷静沈着に時代の趨勢を見極めたうえで、斜陽の武田氏から徳川家に帰順することを選択した信昌。その裏には幼い弟の仙千代と、亀姫の前の妻が武田家の人質であったにもかかわらず、見捨てたという過去がありました。信昌が徳川家についたために、武田勝頼によって処刑されてしまったのです。戦国時代によくあったこととはいえ、壮絶な出来事だったことに違いありません。その後に輿入れしてきた亀姫に対しては、家康の娘だったからということがあるかもしれませんが、信昌は丁寧に大切に扱って、生涯側室を持たず睦まじく暮らしたと言われています。そこには確かな愛情があったと思われます。

我慢強い性格

奥平信昌の性格としては、我慢強い性格であったと思われます。特に天正3年の長篠の戦いでは家臣である鳥居強右衛門等と共に城を死守しました。また、正室である亀姫は非常に気性の荒い女性であったと言われており、「嫉妬深く、夫が側室を置くことを許さなかった」、「10人以上の侍女も手打ちにした」といったエピソードがあります。そのような女性を正室にして5人もの子供を設けられたのは、その我慢強さ故だと思います。

奥平信昌を演じる白洲迅について

時代劇はNHKの『幕末相棒伝』以来2作目となる白洲迅さん。戦国時代の人物を演じるのは初めてになります。まだ作中のビジュアルについても気になりますね〜。涼やかなキャラクターになるものと期待しています。物語の伏線で、亀姫との関係性が丁寧に描かれたら嬉しいですね。若武者から関ケ原の戦いなど、壮年に至るまで、どんなふうに演じられるかとても楽しみです。

白洲迅さんは繊細でありながらも力強さを感じさせる演技が魅力的で多くの映画やドラマで活躍されていますが、個人的にはミュージカルなど舞台での活躍を期待したいです。特にデビュー作である舞台『ミュージカル・テニスの王子様2ndシーズン』での演技が非常に印象的でした。その際に演じた鳳長太郎は「穏やかでお人好し」というキャラですが、そのキャラを見事に演じ切っていました。

「どうする家康」を演じているキャスト一覧はこちら!
登場人物の最期について書いています。

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