NHK大河ドラマ「どうする家康」で注目の武田信玄の最後がどうなるのか気になったので調べてみました。NHK大河ドラマ「どうする家康」では、武田信玄を阿部寛さんが演じられます。阿部寛さんの堂々とした演技力や、何を考えているのかわからないミステリアスな武田信玄の心情をどのように演じられるのかも注目ですね〜!
武田信玄の父親と母親
武田信玄の父親は、武田信虎といいます。武田氏15代目の当主です。信虎は、甲斐国の戦国大名で信玄が後を継いだ武田家の家督を継いでいます。信虎は、信玄がまだ幼い頃に死去して、ドラマでもそのエピソードが描かれています。母親は、大井の方、または大井夫人と呼ばれています。この大井というのは、彼女が甲斐国の国衆の一人である大井信達の娘であることから、そう呼ばれるに至ったのであって、従って本名については不明となっています。
武田信玄と織田信長、家康との年齢差
武田信玄(阿部寛)の生まれた年は、1521年です。織田信長(岡田准一)は、1534年生まれ、徳川家康(松本潤)は、1543年の生まれとなっています。つまり、信玄は信長より13歳年上で、家康より22歳年上ということになります。
武田信玄に関係した有名なエピソード
父・信虎の追放
武田信玄(阿部寛)の父は、太郎(信玄の幼名)に弟の次郎が生まれると、そちらの方を可愛がったと言います。そのため、父子の仲はあまりよくなかったようです。それをよく物語るのが、1541年に晴信(信玄の俗名)による父・信虎の追放です。しかし、これは晴信が単独で行った訳ではなく、晴信を次の武田家当主として担ぎ上げようとしていた重臣たちと共に行ったようです。追放された信虎は、隣国駿河国で蟄居しました。この事件が起こった原因に関しては、諸説あり、未だに解明されてはいないようです。
風林火山
「風林火山」武田信玄が戦いの指揮を執る前に兵士たちに語ったとされる故事に由来。信玄は、戦場は風のごとく素早く動、林のように隠密行動を取って、火のごとく攻め込み、山のように堅固な陣地を築きました。また、信玄は「勝って兜の緒を締めよ」という言葉残してます。これは、戦いが終わっても、いつも警戒心を持つようにという意味が込められています。「諏訪頼重の殺害」信玄は、諏訪頼重という自身の家臣を処刑したことがあります。頼重は、信玄に対する反逆の疑いがあり、信玄によって殺害された。この事件は、信玄の非情な一面が伺えます。
武田信玄の子供について
戦国時代のロミオとジュリエットとは?
武田信玄には、嫡男の義信がいましたが、彼は後に父と対立したため、廃嫡の憂き目に遭います。次男は、目が悪く、三男は、早くに亡くなり、従って四男の勝頼が武田家の新たな嫡男となり、信玄の死後、家督を継ぎます。一方、娘たちは、長女は北条氏政へ嫁ぎます。次女は家臣の穴山梅雪の妻に、三女は木曽義昌の妻になります。しかし、武田家滅亡の影には、この二人の娘たちのそれぞれの夫の裏切りがありました。また、松姫という娘は、信玄亡き後、織田信長(岡田准一)の嫡男・信忠と許嫁の仲となり、双方手紙をやり取りするなどして、想いを深めていました。しかし、信忠は、父・信長と共に本能寺の変で討ち死にしたため、この結婚は叶わぬものとなり、この二人の悲恋は戦国時代のロミオとジュリエットという呼び名で一部の歴史ファンから呼ばれていたりします。それから、信玄には末娘に菊姫という娘がいますが、彼女は、上杉景勝に嫁ぎます。歌舞伎の演目・八重垣姫は、この菊姫をモデルに作られたと言われています。
数多くいましたが、ほとんどが夭逝(ようせい:若い年代で亡くなること)しています。晴信、義信、信勝、喜平治などいました、その他にも多くの子どもがいて、ほとんどが、大名や旗本で活躍していました。男子だけではなく女の子も多くいて、婚姻関係で多くの大名に次いだ者もいました。
信玄餅について
信玄餅は、山梨県を代表する銘菓の一つです。きな粉をまぶした餅に黒蜜をかけて食べます。餅は、柔らかく、きな粉と黒蜜の甘さが絶妙です。最近は、大手菓子メーカーとの期間限定コラボ商品なども出ています。山梨県を訪れた際は是非とも買って帰りたいお土産です。ただし、意外と賞味期限が短いので、購入したらなるべく早く頂きましょう。
信玄餅の由来は、武田信玄が甘いもの好き為、特に求肥が好きでした。そこからこのお菓子が「信玄餅」と名付けられたとされています。基本あんこが多いのですが、抹茶やクリームチーズ味など、色んな味があり、多くの人に好まれています。
武田信玄の最期
武田信玄の病名は?
武田信玄は、1573年、京を目指して西へと軍を進めている最中に、病に倒れます。容態はみるみる悪化し、死の前には、歯がぼろぼろと抜け落ちるなど、異様な死に様が史料には描かれています。彼の死があまりに急であったことと、この異様な死に様の表記が武田信玄は毒を盛られたのだという説を生むことになります。しかし、現代の医師の見解では、彼が死の数年前に見せていた体調不良の様子の表記などから推測するに、胃がんであった可能性が高いと言われています。信玄が治めた甲斐国や信濃国は、山がちの土地で、そこに住む国衆たちをまとめるのには、大変な苦労がありました。それが、ストレスとなり長年彼の胃を痛めつけ、それが彼の死を早めたと考えられます。そんな武田信玄の享年は、51歳でした。
死に際に、信玄は、跡継ぎの勝頼に、自分の死に関しては、3年は世間に伏せるようにと言い残したことは有名な話です。また、彼は自身の亡骸は、石棺に入れて、諏訪湖に沈めて水葬して欲しいとも勝頼に頼んだと言います。実際、武田信玄の墓と言われるものは、何カ所かありますが、どこが本当に彼の遺体の埋葬地なのかは、未だに分かっていません。もしかすると、彼の遺体は本当に遺言通り、諏訪湖の水底に沈んでいるのかもしれません。そして、何故、諏訪湖だったのかという問いから連想されるのが、勝頼の母である諏訪御料人の存在です。信玄が、一番強く愛したのは、もしかしたら側室で、勝頼が幼い頃に亡くなった諏訪御料人だったのかもしれません。そんな想像をかき立てる程に、信玄の死はミステリアスなのです。
武田信玄の性格について
武田信玄は、織田信長よりも戦勝率は上で、戦国屈指の名将と言っても良いでしょう。けれど、実際の彼は、意外と繊細だったのではないかと思うのです。山地に隔てられた国衆がいつ、自分から離反するか分からず、彼らが離反しないように気を配って、そのストレスが彼の死の原因となった病を招いたということからも、苦労が多かったことがうかがえます。一方で、彼は戦傷を温泉で癒やし、家臣たちにも湯治を勧めていたことでも知られています。これも彼の家臣への気遣いと優しさからくる行為だったのかもしれません。
戦国の中でもっとも有名な武将だと思います。その強さは称賛される程。強さの為には冷静で非常な面があったと思います。その理由として、自分の戦術を守らないとところかまわず切り捨てるところからそのようように思います。また、茶道や和歌に興味があり、美意識が高いと思います。いろいろな評価があると思いますが、ただの冷酷非道ではなく人間味がある武将だと思います。家臣や領民には公正であった為に治世が安定していたのだと伺えます。
キャスト阿部寛さんの演技力は?
カリスマ性のある演技!
阿部寛さんは、2009年の大河ドラマ「天地人」では、上杉謙信役で出演なさっていました。長身の阿部さんが演じる謙信は、カリスマ性が感じられ、見ていてなかなかに迫力があったのを覚えています。そんな阿部寛さんが、今度は武田信玄を演じるとあって、その配役だけで既に、個人的には期待が大きかったです。武田信玄と上杉謙信といえば、川中島の戦いで何度も戦ったことで有名な武将同士ですからね。ですので、今回も阿部寛さんは、堂々と甲斐の虎・武田信玄を演じて欲しいと期待しています。まだ、物語は序盤で、彼の出演シーンは少ないですが、今後、どのように家康(松本潤)を翻弄していくのか楽しみです。
演技力がある俳優さんですので、信玄の表現しずらい人物像を本物に近く表現する事が出来ると思います。本物の信玄自体が複雑な人ですので、表現するのは難しいと思いますが、歴史的な背景をあますことなく表現して戦国時代の良い所も悪い所も伝えてもらいたいと思います。過去に大河ドラマに出ていた事もあり、期待は大きいです。