どうする家康で徳川家康の最期は?キャスト松本潤の演技力も!

NHK大河ドラマ「どうする家康」で徳川家康の最後が、どうしても気になりますね。色々な説がありますが、現在分かっている範囲で、確認してみました。また、「どうする家康」で主人公の徳川家康を演じている松本潤さんの演技力についても、書いていますので参考にしてみてください。

目次

徳川家康の父親と母親について

母親との再会は16年後

徳川家康の父親は、三河の豪族の松平広忠です。母親は、於大の方と呼ばれる女性です。彼女は、尾張の国の豪族の水野家の出身です。広忠と於大の方は、家康が生まれてから間もなく、離縁しています。理由は、水野家が織田家の配下に下ったからです。この頃、松平家は今川の配下にあったので、今川家への配慮から、広忠は、水野家出身の於大の方と別れたのでしょう。幼い家康は、父の手元に置かれ、母との再会が叶うのは、16年後となります。

徳川家康とお市の方、瀬名姫との年齢差

徳川家康(松本潤)の生まれた年は、1543年です。お市の方(北川景子)が生まれたのは、1547年なので、家康はお市の方より4歳年上ということになります。一方、瀬名姫(有村架純)は、1538年或いは翌年の1539年だとされていますが、それはそう考えられるというだけの話であり、詳しい生年は判明していません。ただ、いずれにしても、家康より(5歳または4歳)年上だったようです。

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徳川家康に関係した有名なエピソード

家康の聡明さを物語るエピソード

徳川家康(松本潤)が、まだ幼い頃、今川家の人質として駿河の国にいた時の話です。家臣と共に、今川領内を散歩していたところ、河原で子供たちが二手に分かれて石投げ合戦をしていました。片方は、人数が多く、もう片方は、人数が明らかに少なく、これを幼い家康と共に見ていた家臣たちはきっと後者が負けるであろうと予想しました。しかし、幼い家康は、いや、後者の方が勝つと予想し、その予想は見事に的中します。そこで家臣たちは家康の賢さに感服したそうです。ただ、家康の聡明さを物語るエピソードですが、後世神君と称えられる程の人物ですから、もしかすると作り話の可能性もあります。結局、勝者の良いように描かれるのが歴史というものですからね。

小牧・長久手の戦い

徳川家康(松本潤)は、織田信長(岡田准一)亡き後の織田家の跡目争いに勝利した羽柴秀吉(ムロツヨシ)と、1584年に小牧・長久手の戦いで戦います。お互い、にらみ合いの末、局地戦では家康(松本潤)が勝利しますが、秀吉(ムロツヨシ)の巧みな外交交渉により次第に家康(松本潤)の味方が秀吉陣営に組み込まれていきます。やがて秀吉(ムロツヨシ)は朝廷から関白に任ぜられ、勢力を拡大してきため、家康(松本潤)は最終的に秀吉(ムロツヨシ)と休戦し、やがて臣下の礼をとり一時的であったにせと豊臣家の重臣に組み込まれていきます。天下取りをめざした戦いであったため家康(松本潤)にとっていささか悔しさが残る戦いとなったと思います。

徳川家康の子供について

正室(瀬名)の子供は?

長男の信康は、最愛の瀬名姫との間に出来た家康にとって最初の我が子です。しかし、信康が元服し、織田信長の長女である徳姫を妻にもらい受け、子を成すようになった後に信康事件が勃発します。信康が母の瀬名姫と共に武田と密かに通じているという疑惑が立ったのです。そして、信長の命令で、二人を死に追いやる羽目になります。家康にとって、ある意味、一番ショッキングな出来事だったのではないでしょうか。一方で、家康の後を継ぐ、秀忠は、家康の三男です。次男の秀康は、母親の身分が低かったため、早いうちに他家へ養子に出されます。家康の側室選びは、豊臣秀吉とは違い、子供を産んだ経歴があるかどうかに重点が置かれました。そのため、家康には、秀忠の後も息子が何人も生まれます。十一男の頼房は、初代水戸藩主で、水戸黄門の名で有名な徳川光圀の父親です。
一方、娘は、瀬名姫との間に生まれた亀姫がいます。彼女は、後に奥平信昌という三河出身の武将に嫁ぎます。

16人の子供

徳川家康(松本潤)は瀬名姫(有村架純)や側室たちとの間に判明しているだけでも16名に子供に恵まれました。家康の子の中で結城秀康は、秀吉(ムロツヨシ)の養子になりました。そして秀忠は2代将軍となります。関ヶ原の戦いの後生まれた、義直は尾張藩の藩祖にそして頼宣は紀伊藩の藩祖にさらに頼房は水戸藩の藩祖となり、それぞれ御三家と呼ばれるようになります。

徳川家康の側室について

まず、後の二代征夷大将軍の秀忠を産む於愛の方(広瀬アリス)がいます。しかし、初めての側室は、お葉(北香那)という女性で、かつて今川家で共に戦い、後に上之郷城の戦いで戦い、自害に追いやった鵜殿長照の縁者の出だそうです。お葉は、通称西郡の局と呼ばれています。また、お万(松井玲奈)という側室もいます。十一男の頼房を産むのは、このお万です。

側室のお万(松井玲奈)は、結城秀康を産みます。お万(松井玲奈)は瀬名姫(有村架純)の身の周りの世話をする女性でした。於愛の方(広瀬アリス)は戦国時代の武将であった西郷 清員の養女でした。やがて家康(松本潤)の側室となり2代将軍の徳川秀忠と松平忠吉を産みます。 

徳川家康の最期

病名は?

徳川家康は、大阪夏の陣で豊臣家を滅ぼした翌年の1616年に亡くなります。享年は、75歳でした。その死因に関しては、長いこと彼が食べた鯛の天ぷらの食中毒だと言われていましたが、最近の学説では、どうも胃がんを患っていたのではないかと言われています。胃がんは、その腫瘍が出来る部位によっては、現代でも発見が遅れることがあると言います。まして、当時はまだ医学が進んでいない江戸時代初期。いくら健康オタクと言われる家康でも、気づかぬうちに病が進行していたのでしょう。

家康(松本潤)は1616年に駿府城でこの世を去ります。享年75歳です。1615年に徳川家にとり最後の脅威でもあった豊臣家を滅ぼし、名実共に徳川家の天下を確立させた家康。1616年に朝廷より太政大臣の任ぜられた直後に鷹狩りに行った後に体調を壊し、しばし療養するも回復しませんでした。当時の記録で家康の症状は次第に痩せていき、腹に大きなしこりが確認できたそうです。有力説は胃がんと言われていますが確立された死因はありません。当時としては70代といえば高齢であり、60代で秀吉(ムロツヨシ)がこの世を去った事を考えると比較的長寿であったといえそうです。いずれにしても何らかの病死といえそうです。

「どうする家康」を演じているキャスト一覧はこちら!
登場人物の最期について書いています。

徳川家康の性格

メンタルが弱い

今回の徳川家康は、お腹がでっぷりした貫禄あるお祖父さんのイメージを覆して、弱虫な若者からのスタートとなっていますね。実際、彼はメンタル面では、弱いところもあったと思います。なぜなら、実の母親と早くに離ればなれになったからです。もちろん、当時はお乳をあげたり、おしめを変えたりするのは乳母の役目です。けれど、やはり実母とのコミュニケーションがあってこそ、子供の健全な精神は育まれるもの。その点、家康は運命に翻弄され、それを知らずに成長するのです。当然、メンタル的に弱くもなるでしょう。けれど、実際のところ、於大の方もなかなか出来る女性で、幼くして別れた我が子を気遣い、手紙をまめにしたためたりしています。また、織田から今川へと人質交換で、移住させられた時には、実母(つまり家康にとっては母方の祖母にあたる)を駿河の国に送っています。なので、離れていても母の愛情を感じられる状態にあったのです。だから、実際のところ、ドラマの家康ほどには怖がりでもなかったのかなと思います。この辺りは、ドラマの制作上、少々の過剰演出、または過剰な人物設定として、逆に楽しんで見るのが良いでしょう。

忍耐強い

若くから人質生活を送っていた家康(松本潤)は人一倍の忍耐強さがあったと感じます。だからこそ織田信長(岡田准一)と締結した清洲同盟を終生守り続け信長と対立する事無く、共に戦国時代を戦い抜く事ができたのではないかと考えます。
さらに一度決めた目標に向かい手段を択ばない性格も有していたと考えます。特に天下が目の前に見えてきた秀吉(ムロツヨシ)亡き後において、豊臣家を守る重臣という立場から離れ徳川家の覇権を目指し、どんな努力でも、いとわない確固たる意思の強さを有していたと考えます。

徳川家康を演じている松本潤の演技力

役作りの真摯さに感心

最初は、まつじゅんが家康?大河の主役?大丈夫かなと、あまり期待していなかったのです。でも、彼が新聞社の取材を受けた時に、“どうして晩年の家康は駿河の国に隠居したのか、今川の人質だった若い頃を思い出していたのか、それとも瀬名への思い入れもあったのかもしれない”というようなことを語っていたのです。私は、そのインタビュー記事を読むまで、家康が晩年、駿河の国に隠居したのは何故かという疑問を一度も抱いたことはありませんでした。だから、その文章を読んで、松本潤さんの役者としての役作りの真摯さに感心したのです。そして、それに基づいた演技。素晴らしいですね。彼が、竹林を走り回って楽しそうに一人遊んでいる時は、こちらも見ていて楽しくなるし、一方、家臣の見ていない所でどうしようと震えるところは、上に立つ立場の人間の責任の重さを感じて同情すら感じてしまいます。今ではもう、最初抱いた不安なんて何処へやら。安心して毎週の放送を見ていられます。

細部にこだわる演技

松本 潤さんは、人気グループ嵐のメンバーでありスタイル抜群でセンスのいい顔立ちをした2枚目の芸能人という印象があります。また歌唱力が優れていると感じます。特にあれだけ多くのファンの前のコンサートで堂々と歌い踊れる姿は、松本 潤さんの有するタレント性のすごさを感じます。演技の細部にこだわるようで、画面からきめ細かく整った容姿の美しさが伝わってきます。またかなりコミカルな演技もこなせる器用な一面も見えるため将来、演じる領域が広がる可能性があり今後がさらに楽しみな俳優だと感じます。

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登場人物の最期について書いています。

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